今日は12km自転車こいじゃったハピペンです。なんだろうね、一体ね。。。
いよいよ、前半の前半最終日!!
勤務した日数は、76日間
彼らには賞賛ばっかりの日々だったなあ。
【パセージ】で学んで、イライラがなくなった。
先日の【気持ちをつくる】という話でもそうなのだけれど、
「子どもってのは常に仕方ない生き物」なんだよね。
そして、そこから、どう生きるか。
常に通過点とも言える。
そこで、成長が止まることなんて100%ありえない。
今まで出会った大人で2年生みたいな大人なんて見たことない(不適応に陥っているから表にいないんじゃない?だから、そりゃ当然。と言われてしまうかも。ただ、そんな社会もどうなん?って話にまたなる)。
夏休みに入るに際して、またいろいろと爆裂させてしまった。
- 宿題計画をつくらせようとする
- 100マス計算を2週間2セット出す
- えんぴつの持ち方と書く姿勢に言及する
- 8月31日のみんなへ、自分へを書かせて印刷する
- 夏休み中ジャーナルをやりたい人にノートを渡す
忙しかったなあ。
最終日ってほとんどバタバタ手紙配って終わっちゃうんだよね。
落ち着いて座っていられる時間もなく。。。
気安いのだけど「ここまで」について、振り返ってもらった。
「ここまでどうだった?」と聞いた。
「意見がある人から黒板に書いていいよ」と言うと何人かが書いてくれた。
良いも悪いもあっていいのだけれど、良いことしか出なかった。こういうときに良いことだけ出そうって気は遣えるのだなあ(笑)
ただ、全員が発言していないので、日陰の部分は覆われているが、純粋にうれしかった。
(そっか、それで、同じ気持ちの人って挙手させればよかったなあ。次の課題にしよう「共有化」:ヒント→授業のUD)
- クラスでドロケイとイスとりゲームをやっておもしろかったです。
よかったあ。昨日めっちゃ粗雑にレクをやりました。とにかく時間がない。ものすごい、子どもをジャガイモを洗うように行動させてしまった。が、楽しかったのね。
- クラスの目標が決まってよかったです。
そうだよね。決まらないかと思ったもんね。この視点いいなあ。みんなでつくった、つくれたっていうプロセスは目標以上に残るのかも。
- みんなで給食を食べられてよかったです。
お家の方に好き嫌いについて言われていた子。うちでは、減らしてもおかわりできるし、嫌いなものは挑戦はしてほしいけれど残すことを悪とはしていない。だから、この子が給食にポジティブな気持ちを書いてくれたのは嬉しい。
(ただ、課題ではある。食料の課題についてきちんと提示して、食べることの大切さを伝えたい。ヒント:GROW OXFAM JAPAN)
- クラスのみんながやさしくてともだちになってあそんでたのしかった
この子は、学校のMAXを味わっているよなあ。これが本心であったなら本当に嬉しい。そして、それがたくさん起こってほしいし、ずっと続いてほしい。最後までそういうクラスでありたい。
- クラスのみんなともだちになれたこと
そう思えた子がいることは本当に嬉しい。いろいろ後手だった。休み時間のレクも4回しかできなかった。ペアトークも休止した。それでも、少しでも「みんな」を感じてくれたのだとしたら本当に嬉しい。
- クラスでいっしょにイスとりゲームとドロケイがみんなでできて、たのしいきもちの思い出になって、たのしいクラスになれてたのしくなりました。
たのしいが溢れている。秒でもそう思ってくれたのだったら嬉しい。この子は、クラスに文句を言うタイプの子である。うるさいとか、ちゃんとしないからヤダとか、もっといい雰囲気のクラスになってほしいとクラス会議でも議題を出していた。この子が「プラスの感情」にもちゃんと焦点を当てていることに感心する。4月からここまでのクラスの変化を感じているからこそ出ている言葉なように感じて、やはり嬉しい。良かった。そう思ってもらえるクラスに少しでも近づいているようで。
- クラスでいろいろなことをまなんだ
いい!2年生らしい(笑)これでいいのよ。まだ言語化できないことがたくさんあると思う。わんさかあると思う。
いろいろな振り返りの中でもこの言葉は特にグッときた。
ただ教室にいるのではなくて「学んでいる自分」を自覚して教室にいるという感覚の芽生えが嬉しい。教師としてねらいたいことの一つでもある。
「学ぶ主体として学校にいる」と感じられたら、その子はもう伸びるしかない。
そして、実際その子は伸びた。落ち着きがなく離席する時期もあったが「勇気付け」に成功しているようで、6、7月はすべての時間に相応しい態度で活動に参加していた。良かった。
あとは「何を学んでいるか」を「言語化」さえできればこの上ない。目指せるよう私もたくさん考えよう。
そんなこんなで、夏休みに突入である。
月曜日、久しぶりに子どもたちに会わない学校で、子どもたちの偉大さをまた感じるだろう。
彼らが、いつのまにか、自分にとってかけがえのない愛しい子どもたちになっていることに気づいて。