雨!寒い!バスに乗れなかった!でも、良い日。ハピペンです。
今日さ。
— Happy penguin(ハピペン) (@kn_penguin) 2018年12月11日
雨じゃん。
寒いじゃん。
電話あるじゃん。
つながらないじゃん。
バス乗り遅れるじゃん。
「どこまでですかー?」
って聞かれるじゃん。
いい日だよね。
昨日、ビックリするくらい急激に振り返り脳が発火して、「つながり回想」をはじめた。
「つながり回想」ってなんだよって話なのだろう。まあ、要は、急にここまでの「つながりのストーリーがひらめきはじめる」というだけのことなのだけれどね。
かれこれ、だいたい、7年前まで遡った。
どうして「つながり回想」がはじまるのか、というと、それは「今いるところの幸せ」から起こっているかもしれない。
sns相談員研修に行って、ここに来るまで、このアクションをするまで、いろいろつながっているのだよなあ、と思った。
特にはDAFLでもある。
そこで感じたことや出会いからここ一年のアクションが起こっているように思う。
そして、そのDAFLが起こる前にもいろいろな布石・伏線はあって、すべてはつながっていると思えた。
遠回りの複数の道が、実は一本につながるのではないか、といった希望を感じて楽しかった。
どの道も「今」であったり、「未来」であったりに続いているのだということを感じる。
すべての人生はストーリーであって「常に意味が書き換わる可能性をもっている」ということ。自分が人生に「意味を創ることができる」「意味をもたせることができる」と、そう気づいた(ニーチェが喜びそうなやつだ)。
メタ記憶
メタ記憶とは、自分の記憶についての認知と言われる。メタ認知のうちの一つ。その記憶方略は人それぞれなのだと思う。そして、私は、今日、自分の記憶の構造のクセに気がついた。
私の記憶は「群青劇的」なのだった。
前後関係や文脈のつながりがあまりなく、出来事が残る。あれがあったからこれ、これがあったからあれ、とあまりならない。
なぜ、そうかといえば、その方が都合のいい家庭だったのではないかと思う。お酒を飲んだ親が帰ってくることを予期できなかったように、笑い声がうるさいと怒鳴られるように。自分の感情が予期できない日を生き延びるには「そういうこもある」という耐性でやり過ごすことが自然だったのではないだろうか(事実というより仮説です)。
そして、私は「文脈」「因果関係」「原因と結果」といったことをあまり信じないようになっていった。だからこそ、そうした世界の言葉は魅力的に写った。なぜなら、自分の中にないものだったからだ。
感情ベースの刹那的な判断で生きていたために、私には自分しかいなくなった。そして、また、それは、「自分しかいないということは=自分がいないということ」でもあった。
そして、群青劇的な記憶構造に必要なものは「接続詞」「主語」「一貫性」「核となる価値観」「つながり」といった、自分を自分たらしめていくためのもの(単なるアイデンティティ)だった。
そして「これらを意図的に紡いでいかなければならない」というところが盲点だった。「なぜ意図的に紡いでいかなければならないのか」と言えば、それは、自己不在に陥るからである。あの日の自分とこの日の自分とのつながりが断たれているということ。その日暮らし(解離性なんちゃらとまではいかないが)。それでも、なんとなく、衣食住することはできる。それで生きているとすれば、マルコが怒ると思うのだけれど「飛べない豚はただの豚だ」的な感じで、私には生きる意味・つながりといった「ストーリー」が必要だった。
そして、私の中の場面は群青劇なのだった。結局ハピペンというタイトルをつけて収束していくもの。その小見出しをそれぞれの場面、その年代の自分につけていく(単なるリフレクション)。その場面には、場面ごとに様々な他者が必ず存在していて「自分でないもの」に出会うことで、私は確実に自分になる方を見出し、自分へと自分を手招いていた。その無意識的な引力は恐ろしいほどに温かく、私は2013年にすでにその答えの一端に出会っていたのだった。
市の図書館のリサイクル品に落っこちていた2冊の本に出会い。これらの本を手にしている。
- 作者: アスク・ヒューマン・ケア研修相談室
- 出版社/メーカー: アスク・ヒューマン・ケア
- 発売日: 1997/10/15
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共依存かもしれない―他人やモノで自分を満たそうとする人たち (10代のセルフケア)
- 作者: ケイ・マリーポーターフィールド,Kay Marie Porterfield,水澤都加佐
- 出版社/メーカー: 大月書店
- 発売日: 2006/04
- メディア: 単行本
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そして、この2冊も買う。
- 作者: アスク・ヒューマン・ケア研修相談室
- 出版社/メーカー: アスク・ヒューマン・ケア
- 発売日: 1997/03/01
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- 作者: ジョンブラッドショー,新里里春
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2001/02/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「共依存かもしれない」というタイトルの通り、私は「かもしれない」と思った。けれど、そこまでだった。共依存とは、簡単に言えば判断基準が他者になっている状態だった。親のことを気にする人生。彼女のことを気にする人生。お金のことを気にする人生。とにかく、何かに制限されすぎてしまっている状態だった。だから、もうそういうのはやめよう。と思って気にしないことにした。しかし、それは、ミスリードだった。
そして、5年後(今)、やはり、舞い戻って来た。真剣にそこと向き合うべきだと思えた。そこまでの道のりがとても遠回りで変化球的で遠かった。それでも、その道のりで出会えた宝物とも言えるような人々や体験がかけがえなく、素敵で不思議で、だからこそ、今群青劇を「ハピペン」でくくれるような自分でいるのだった。
だから、「ハピペン」らしく、「ハピペン」にしか見えない景色があって、「ハピペン」にしか担当できない一部の何かもあるのだろうな、と思われる。
それを生きていこうと思う。
そして、それは、いつでも起こり得ることで、今目の前に対して感じることを一つずつやってみたらいいのだと思われる。焦ることも、無理することも、気をてらう必要もなく、成功しようと喘ぐ必要もなく、ただただ「ハピペン」をやっていたらいいだけだと思うのだ。なんだかんだ、惰性、怠惰、怠慢とは戦っていくとしても。
群青劇にも終わりは来る。
その「物語は終わる」ということが、とてつもない安心感なのだった。この自分は無限ではない。無制限ではない。必ず終わる。ああ、よかった。
そして、その終わりは、わりと後半8割くらいのところだと思う。最後の最後。そして、それは最高に気持ちよく終わる。私は群青劇が好きだ。
カニグズバーグのこれも最高だった。
- 作者: E.L.カニグズバーグ,E.L. Konigsburg,小島希里
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/08/26
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そうやって、なんでもなかったような一つ一つが、いずれ、やがて、いつか、意味をもつ。
そう思うと、とにかく最終回へ向かって、生き永らえてくことが、続けていくことが、先に進んでいくことが楽しくて仕方ないのだった。
「人は知っている物語の型でしか自分の人生を語れない」と言われる。
自分の知っている物語。好きな物語になぞらえて人生は進むんじゃないだろうか。
それなら、分からない日々も、分かる日に向かって楽しんだらいい。
今日は「しかけカード」を作った。一人の子が、私宛に作ってくれた。驚いた。
- 誰のために
- その人を喜ばせるために
という制限で取り組んでいた。
なぜ、その子は、私を喜ばせようと思ってくれるのだろう。たまらない。
もう一人。
「将来の夢、先生にしようかな。」
と給食の時間に班で話している子がいた。
「面白そうだから!」
だって。
「いつの先生が面白そうなの?」
と聞いた。
「授業中とか?」
だそう。
はーん。
全然そう思えたことないけれど、面白そうと思えるような姿でよかった。よかった、よかった。
もう少し胸を張ってがんばらないとだよね。