かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

220日目:誰が敵か味方か分からない状態

昨日は少し早いけど納めでした。眠すぎて一駅乗り過ごした。

 

ここに来て、やっぱり独特だったのだと驚愕。

 

あの部屋に何があるのだろう。

 

ヒエラルキー、男尊女卑、誤った権力、プライド、多忙感、意地悪。

 

トラブった人は積極的に出させられると取れなくもないようなこともある。

 

優先順位が分からない。

何を起こしたいのか。何が起こらないことが目的なのか。

 

大変な思いをしている仲間がいる。

許せん。そして、悔しい。私は何もできないし、そもそも気づかない。全くアホだ。何を思っていようが、実際に手を伸ばさなければ意味がない。

 

うちは、対人関係過敏群が多いってことなのだと思う。何がとか、誰がとかってことはないのに、誰もが「自分に本当」でいられずに「自分に嘘をつく」構造に巻き込まれる。

人間関係の嗜癖、病理、呪縛のようなどんよりしたもの。

そうして、自分に嘘をつき続けることに慣れ、ストレス耐久レースを勝ち抜いた者が発言権をもち、苦しみから解放されていく。

リタイアは自己責任である。

特有のコミュニケーションに適応できなかったことが悪いのだ。

 

なぜ、そこに独特なものがあると思うかというと。せめて、オフでは多少は語り合えるからだ。納めにはそういう雰囲気を感じた。しかし、そうはいかない。220日間冷徹を感じ続けた。外の人たちがいるから生き残れた。私は幸運だった。運が良かっただけ。外にいる人たちの温かみを知っているから、1週目の段階で、ここで残業しても得るものがないと踏ん切りがついて、搾取されずに済んだ。

 

誰が敵か味方か分からない状態。

これほどコミュニケーションがしづらい場所ってない。

拘束だらけなのだ。

どれが自分かも分からなくなっていくし、何をしても不正解になり得る。人間でないものになっていくしかなくなる。

 

何度も言うけれど、外にいるまともにもほどがある人々のおかげで、生き残れた。

 

どうでもいい場所で、どうでもいい次元の生き残りレースをして、人生を奪われた人々が、他人の人生を奪って、せめて生き残っている自分たちはあながち間違えでないと、傷を舐め合って、生きているんだか生きていないんだか分からないような、ミイラの巣窟。

 

自信のない人が嘘をつき続けて、他人から自信を奪い、相対的に自分の自信を高めようとするしょうもないコミュニティ。

 

注:以上の話は、一切、学校とは関係のない話です。

 

生き残った自分や仲間を賞賛したい。

そして、あなたは100%悪くない。