かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

雨と新しい命と

1:00

プチッてなったってことで医者に。

強い雨。

タクシーに乗る。

お金は後で、30分3000円だそう。

 

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1:30

インターホンを押す。

2Fまで歩く。

他所の赤ちゃんは、本当におぎゃーおぎゃーと泣く。

 

うちの子もおぎゃーおぎゃーと泣くだろうか。鳴く?の方が近いかもしれない。

鳴き声だったら、もうそういうものと思えなくもないような気がする。

 

2:00

仕事どうするかな。

時間割を思い出したり。管理職にどのタイミングで連絡するか考えたり。昨日の学びを振り返ったり。

 

もっとやることあんだろうなあ。

ベビーベッドどうする?とか。

名前どうする?とか。

近所に挨拶しなきゃ!とか。

でも、まあ、それは、もう少し先でもいいことだろうと思う。

 

2:30

FBをぼーっと見終える。

「とにかくICTを使って、良い教育をしてほしい」とのこと。

 

誰かを付き合わせるのも悪いしね。そういう意味では、僕たちは搾取され続けるしかない。やり方が誰でも分かるようになっていない。一人で出来るようになっていないことが、働きにくいということでもあるよなあ。職場のUD化が望ましいや。来年度の課題。したことを次々にメタして、次年度につなぐってことをイメージしたい。

 

3:00

歩いて帰って来る。

こういうのは、夜中と相場が決まっているのだろうなと思う。

 

4:30

あまり寝れないけど布団の中にうずくまっている。

 

5:30

起きようとした時間。

でも、もう少し目を閉じて寝た感覚を得たい。

気づいたら6:00だった。

 

学校へ行く。

普段通り。実家に車を取りに行くところだけ違う。

 

一時間目は、テストだった。

9:05ごろに「生むから!」と喧騒の中連絡が来る。

 

一時間目の終わりに出していただいた。

有り難い。

 

でも、間に合わず、9:15ごろには、生まれたとのこと。立ち合いたかったので、若干のショックを感じつつも……まあ、それだけ安産だったってことか、と思い直す。また、妻は「見なくてよかったと思う」とも言っていた。そういうのでいくらか気は晴れる。

 

そして、まあ、生まれてしまったのならと、花を買って、会いに行った。

妻も見なくてよかったと思うと言うので、それはそれで良いという風にできているのだなあ、と落ち着く。私は、妻が良ければいいと、意外と思っているのだなあとメタ。

 

病院に10:30ごろについて、12:15まで会った。ずっと見ていても飽きないなあ。

外側に出てきてしまって悲惨な心境かな、と泣き声を聞くと思う。けれども、こちらは嬉しいのだから失礼してしまう。外側にいて同じ空気だとか、日の光だとかを感じられるところに存在してくれているのが嬉しい。こっちの嬉しいで思考停止しているなんてエゴだと思う。そんなことより、羊水と子宮の壁を求めているのが本音かもしれない。そんな風に、その子と私はすでに違って、そう。既に個人として存在している。そういう感じがした。自分なりに手を動かしたり、泣いてみたり、舌を出し入れしたり、自分なりの適応が始まっている。何も助けられない。その子なりにやっていくしかない。この先、いくつか手助けしていくのだろうけど。

 

これから、この子の「今」に、ずっと付き合っていくわけだ。とてもいい、と思う。

 

14:30ごろ仕事に戻る。

ここから、成績とアルバムの写真選びが始まる。

学校を出られたのは、21:30だった。