久しぶりにクラスだった。
よくないことがなく、終わる。
今年度は、絶対ないんだろうなあ、と思っていた、「先生、おかわりしますか?」という気配り。嬉しかった。セレクトを両方よそってくれて、ご飯を増やしてくれた。一生忘れないと思う。
子どもたちの雰囲気が丸い。ギラついてない。はっきりとそう感じた。違いはなんだろうなあ。
席をコの字にしたってのがあるかな。
意見を交わしやすくなったと思うんだよね。
当たり前なんだけど、意見交換って、まず、仲のいい子と楽しんでから、いろいろな子に広げていった方がいいのかもね。
仲のいい子とのやりとりの中で、似ているとか、同じとか、違うとかって楽しさに気がついて、じゃあ他の人は?ってなった方が自然かもしれない。
とことん、濃い仲で交換して、停滞や低迷を感じたら、別のグループの子たちと交換するって方が、いろいろな子と学ぶ意欲の底上げができるかもしれない。
ただ、そのためには、個人がそれなりに考えられるようになってからじゃないとダメだろうね。顔色見て、迎合の連発で終わるんじゃ困る。自分の頭で考えられるって前提がいる。そんなのをちまちまとあっちこっち気にしていたら、こんな時期になってしまった。
でも、感覚でしかないのだけれど、「自分」の考えを書き始めたな、という感じがする。授業で意見を聞くのが楽しみになった。
朝は、月曜日しなかったことをいろいろと悔やんだ。子どもへの連絡が不十分だったことや、体育の授業の流れもイメージがもてておらず心配だった。
でも、そんなのは、全部飛び越えていく。
どれも「大丈夫」で終わる。
できることをした。耐え忍ぶ時間もあるにはあった。しかし、それは、子どももフォローしてくれる事案だった。私は、私をやっている。なるべく誠実である方で、粛々と自分でいることを選んでいる。
そういえば、子どもたちが「自分が計算が速くなった」と自覚していた。成長を感じられたなら嬉しかった。同じ計算をコツコツと繰り返すことで、頭の回路は確かに太くなるようだ。
今日は、他学年の補填にも入った。荒れていた、と思う。ストレスを感じたし、やりづらかった。特別支援脳フル回転だった。
「⓪座る」と板書した。
「座れる子から座ろうー」と言った。
「すでに座って準備している人もいるんだねーやるなー」と言った。
うるさかった。
「集中すること」と「一度に一つ」を伝えた。
「文字を書くときは、足を床につけるといいんだよ」と言った。「やるぞ!」という気持ちの子が増えた。「今、足をつけるだけじゃなくって、グッと椅子を机に近づけた子もいるね。自分で考えて、よくしようって思えてすごいね」と言った。
うるさい子には、「書き始めたじゃん」とか「結構いい字、書くじゃん」とか「今黙ってやれていたね」とか、適当に刺激しておいた。
結果、一番うるさかった子二人は課題が終わった。黙っていて、課題が苦手な子は、赤ペンで手伝ってできるところまでやった。
一番課題が苦手そうな子は、静かにできないなりに頑張っていた。
静かに頑張り続けている子たちもいた。この子たちを絶対に見放してはいけない。志水先生の丸付け法で全員に声をかけていった。
「残り10分!どこまでやるか決めて、できるかどうかやりなさい」と言った。自分なりにここまでと決めて向かっていっていた。一人がスモールステップで目標を宣言し、終わると「終わったから、あと一つー!!」というノリでやっていた。一番うるさくて、机が曲がっていて、机の上が散らかっている子だった。
途中「お話ししている子は、先生がぎゅって抱きしめにいっちゃおうかなー」と言って、やっぱり口を開けるので「見にいっちゃおうかなー」と言ったら、その子は喜んで立ち上がってしまった(失敗、失敗)。
あとは、私は文集を読みたかったので、静かに出来る人は静かにして、私は私の仕事がしたいから、なんて言ったりして、口を閉じることを促した。
ただ、シーンって感じを作るまではいけなかった。シーンは、4分くらいだな。いつも怒鳴られているクラス。その先生がいない時間。大声なしの工夫ではそこまでしかできなかった。まだまだ修行がいる。この子たちを一年持つとしたら、一体どんな工夫で育てていくのだろう。どう乗り越えていくのだろう。ただ、リソースはあるだろうね。一番うるさい二人が早く終わったから、お互い間違えたところの何が違うか言ってやってって言ったら、めちゃ熱心に伝えていた。自分のが出来る的な競争心も煽りつつ、いくらでもそそのかせば、動くかもしれない。
そう、彼らは、気持ちよく伸びたいだけなのだろうね。成長したい彼らに適えば、万事うまくいくのだろうなあ。課題を終わらせる伸びたさに感服する。