かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

なんだろうな

疲れているかな。ボーッとするなあ。寝不足かな。6時間だからかな。なんだろうな。

 

明日で終わりかー。早っ!とも思ったけれど。

今は、やっぱり時数の心配かな。文集もだけど。何かが終わらないのではないか、失敗してしまうのではないか、と不安。すでにしている失敗も不安。何より「できない」と思われるのが不安っちゃ不安だなあ。子どもを動かせていないとか、そういうの。当たり前ができていないよって逆襲。まあ、いいんだけどね。そういうモノサシでそもそもいないんだからなあ、って感じだ。

 

 

 

↑を書いた後に、お茶に誘われて、45分だけ寄り道。これで脳が切り替わったなあ。

 

人がいる時点で、コミュニケーションしないことはできない。脳は、会う人や場所で切り替わる。疲れていたはずが、疲れが抜ける。会うだけでも変化はある。面白い。

 

疲れている。辛い。やる気が起きない。だるい。頭が働かない。思考停止。などなど。

これらは、「相応しくないやり方」を繰り返してしまっているだけなのだろうね。本当はいつだって抜け道があるのだろうね。それにもかかわらず、誤った方法を繰り返してしまって、ドツボにハマる。自分は今日は疲れた存在でいるしかないと自ら確定してしまう。本当はそんなことはないのだ。まだ力はある。「疲れた〜」から、楽しめる今日がある。そういう希望を抱かせられる人になれたらステキだ。惰性でなく、ね。

 

あとは授業だなあ。考えて、話したくなるような発問がしたい。面白みを感じさせられたらなあ……ああ。