何かを手放さなければならない。という感覚はあって、ぼやぼやーっとしている。
この本のレビューを見た。
大変に素晴らしい逆説であり、真実だろうなあって思う。好きだなあ。
それで。そうだ、そうだ。この「動」的な脳みそに距離を置く必要があるんだ。そこで、足掻いてなんとかしようってのが間違いで、ただ眺めているだけでいいんだ。
「手放さないとならない」という、脅迫の時点で誤っている。「手放さなければならない」ということこそ手放さなければならないわけだ。
漂うこと。
子どもと接していると、反省ばかりで。
「もっとこうすればよかった。」「こういうミスをしてしまった。そうでないようにしなければ。」「こんな自分ではダメだ。もっと正しくあるべきだ。」「なんで信用ならないヤツなんだ。努力が足りないんだ。」「自己犠牲が足りないんだ。もっと苦しむべきだ。」「なんで、ああできないんだろう。自分は。」
そんなんで、「自分を変えなければならない」ということに迫られて。苦しむ。
しかし、最前に、今は今とて頑張っている。
「誰かと比べるのではなく」
頑張っている。
そう思うか思わないかといえば、頑張っていると思うなら、それは頑張っているのだからそれでいい。
「もっと」には、果てがない。
「もっと」と想像した時に、立ち止まる必要があるかもしれない。
もしかすると、「『もっと』働かなければ」と思っている人は、その解決が問題を生んでいる可能性があって、そういう人には「『もっと』疲れていない自分でいること」が、最も必要な可能性もあるかもしれない。