かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

047|何かを手放さないとならないのは分かっているのだけども

何かを手放さなければならない。という感覚はあって、ぼやぼやーっとしている。

 

この本のレビューを見た。

 

大変に素晴らしい逆説であり、真実だろうなあって思う。好きだなあ。

 

それで。そうだ、そうだ。この「動」的な脳みそに距離を置く必要があるんだ。そこで、足掻いてなんとかしようってのが間違いで、ただ眺めているだけでいいんだ。

 

「手放さないとならない」という、脅迫の時点で誤っている。「手放さなければならない」ということこそ手放さなければならないわけだ。

 

漂うこと。

 

子どもと接していると、反省ばかりで。

 

「もっとこうすればよかった。」「こういうミスをしてしまった。そうでないようにしなければ。」「こんな自分ではダメだ。もっと正しくあるべきだ。」「なんで信用ならないヤツなんだ。努力が足りないんだ。」「自己犠牲が足りないんだ。もっと苦しむべきだ。」「なんで、ああできないんだろう。自分は。」

 

そんなんで、「自分を変えなければならない」ということに迫られて。苦しむ。

 

しかし、最前に、今は今とて頑張っている。

「誰かと比べるのではなく」

 

頑張っている。

そう思うか思わないかといえば、頑張っていると思うなら、それは頑張っているのだからそれでいい。

「もっと」には、果てがない。

「もっと」と想像した時に、立ち止まる必要があるかもしれない。

 

もしかすると、「『もっと』働かなければ」と思っている人は、その解決が問題を生んでいる可能性があって、そういう人には「『もっと』疲れていない自分でいること」が、最も必要な可能性もあるかもしれない。