かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

046|暑さが……

眠さの次は、暑さである。

 

つい「super beaver」の『美しい日』が聴きたくなってしまうような夕暮れである。

 

それくらい、今の両手に余る諸々を、手放しで幸せに持ち変えるような勢いで、吹き飛ばしてしまいたいって感じなのだと思う。

 

今、幸せであってほしい、出会ってきた子どもたちが、辛い日々でなく、日々を愛おしめて、歩んでいるなら、本当に、まあ、もう、それでいい。

 

https://m.youtube.com/watch?v=RF8mlN45vOQ

 

暑さで、子どもたちが4Hまでもたない。

 

低学年は、飽きたとか、つまらないとか、もうやめて〜とかいうのが、露骨でよい。自分のどの頃合いに授業力がないのか見えてくる。そうなっているときに、ついお尻を叩いて「これで最後」だとか、「もう終わるよ」だとか、言ってしまうので、勉強は嫌なものになってしまうんじゃないかと思う。私こそが、諸悪の根源である。

 

「腹が減っては戦はできぬ」とは、よく言ったもので。子どもたちにとっては、文字を丁寧に書けないことよりも、空腹の方が、生殺与奪の問題なのである。

 

そして。

いき過ぎたリフレームやポジティブシンギングが、「ああ、この人に言っても無駄だな」というバリアを作ることもあるのだ。

 

ああ、まいった、まいった。

もっと、深刻そうに、一歩踏み込んで、目を見つめて、真剣に問うような人間である必要もあるのだろうな。人それぞれ何に信頼を置くかが違うように。少しでも多く、出来るだけ、いろいろな人の信頼に値するようにすること。ただし、社会ってのは、一人で網羅できるわけではなく、きちんと、誰かしらが、そのこぼれ落ちそうな脆いものを拭うわけだから、それに寄りかかるほかない。情けないし、無責任で仕方ないのだけれども。