かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

123|低気圧という魔法のせいにして

なんとなく浮かないのは、皆同じだろうな。そういう中でよくやっていると思うのだ。子どもも、私も。

 

ただ、手が届かない。手が伸びない。分かっていても発揮できない。そういうもどかしい疲労なのか、手の足りなさなのか、何かできていないと感じる。

 

どうしたって手は二本しかないように。私の保持している時間が一人分しかないように。それをどうのこうのする手はないようだ。

 

そして、初めて通常級をやる時に思った「同じ時代を生きていく彼らで承認欲求を満たし合うしかないんだぜ」というのは、やはり忘れてはならない本筋なように思う。

 

本筋だから、横道にひたすら教師が全員にイイネを出すサイドメニューもあるとして。ただ、それをやらなきゃとなっても詰むと思える。そうなると、いかに、「見てるよ」をしつつ、イイネの横のつながりを彼らに託して満たすかってことなのだろうな、と思った。

 

マスクしてるし、クラス会議を入れてしまってもいいかもしれないな。やってみようか迷う(コロナ的にです)。

 

頑張りすぎなくていいということを聞いた日。違う目で見ると、また違う言葉が手に入る。その言葉は、誰かを救う。自分も自分が携わる誰かも。そうして、人はつながっている。