かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

138|17時30分に出る

職場をそれくらいに出られたら幸せである。

 

7時から17時の働きで落ち着きたい。

仕事の前借りを土日でしないとって感じもあるが。

 

ようやく、この11月になって、出遅れた(コロナ等々による)リズムが戻ったように思えた。

 

学級が出来上がってきているということ。

ほとんどの子が不満なく、クライシスなく一日を終えられるということだ。

 

それが当たり前なのだろうけど、ようやくそこに行き着いて嬉しい。

 

そして、この辺りが私の限界なようにも思う。

これ以上にキリッと切り替えて、きちんとして、ちゃんとやってみたいなことを私の感覚と能力じゃ今はさせられないと思う。

 

それぞれがいて、それぞれにいる。

そして、自分をできる限りコントロールして、力を合わせてやっていく。

全員が同じ様にできるわけではない。それはそうだ。ステップに合ったやり方でやっていく。

 

最近嬉しいのは変化があるからだな。

やらなかった子が「100玉貸してください」と自発的にやろうとするようになった。

読めないかもしれなかった子が、進んで読む練習をするようになった。

そういう少しの変化があれば、人は現実を受容して前向きにやれる。

 

そして、変化がないということも、それは、私が認識できないだけで、常に変化は起こっている。それを信じて働きかけ続けられるかが肝だ。それでも、働き続けられる教師として、私は頑張ろうと思う。嫌になったり、諦めたくなったりするけれど、最後には諦めない教師。そういうのでいよう。

 

 

お家の方からのフィードバックも気になるころだなあ。

  • よく見ているか。
  • 楽しくすごせているか。
  • 勉強についていけているか。

この三つを測られている。

 

正直どれも簡単ではない。簡単にできる目と手の数ではない。できないことを求めていると理解してもらえているのだろうか。

 

大人は自分が大人になって生活できていることを棚に上げて、自分の小さい頃の育ちを肯定して、当たり前のものとして、教育者を測りすぎではないだろうか。一億総教育評論家である。価値観は多様化するけれど、教師はその中でも一つの正解を求められて辟易する。