かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

165日目:静観トンネル

今日は温かい日なのだなあ、、、(●´ー`●)ハピペンです。のんびり生きられることは、実に心地よいことだわ。

 

子どもたちは、当社比で抜群によくなってい?と思う。

 

性懲りもなく、思い直せるというか。

無限とも言えるような「失敗=やり直し=成長チャンス」ということを諦めないでくれていて、少し休んでは、関わることを諦めない。そんなチャレンジに心を打たれる。このクラスはラスト3ヶ月で変われるのではないか、と期待が高鳴る。

 

ねりけしを持ってくる子

キーホルダーを持ってくる子

 

こうしたリスクを泳がせている。

そこから、何かが起こることがある。自分たちで学んでそれをやめる。

延々と続く恐れのないことには、基本的には介入しない。

もちろん苦しいなら助けるつもりはある。

 

そして。

「あとは、任せた。」

そう思う。

いわゆる「静観トンネル」。

 

今日は他校に行って授業を見た。こういう感想は最低最悪だろうけれど、うちの子どもたちは張り合いがあると思った。

ここまで、投げ続けてきたなりの成長はあるのだと思った。

 

道徳で「出来事から価値を考えること」「これまで・これからを内省して考えるということ」これは、急にじゃできないことなのだと思う。

繰り返してきてよかった。だから、自分を見つめて、相手を見つめて、いつもとパターンを変えてみるとか、新しいアイデアを試してみるとか、そういうことができるのだと思う。

作文が下手じゃない子が増えた。

一切書かなかった子が、ポツポツと書くようになってきた。

 

信じて、言葉をかけて、背中を押して、もう少し伸ばせるような気がしてきた。

やる気のないことへのやる気も低くないように感じて、課題を提示しやすい。

信頼関係ってやつなのだとも思う。

 

残り3ヶ月。

自信のない私は切り札的に一つ予防線を張ったものがある。

今年度最後の悪あがき、時間と金銭の投資、学びである。

1月からは「日本初の教師のためのパセージ」に参戦してくる。

ここで、また子どもを見つめるお稽古をする。それで、今年度は、子どもたちを気持ちよく送り出せるのではないか、と信じている。

パセージの肝は結局、子どもと自分の関係を俯瞰して、感情と言葉と態度をコントロールすることにある。自分を露骨に正せる学びの場。

 

さあ行こうじゃないか!2019年に!

(ちょっと気が早いか)