かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

152|ながめる

今日は寝起きが最悪であった。なぜかは、分からない。その感覚すら手放してみよというメッセージとも思った。

 

塞ぎ込んだ自分の世界に対して、声をかけてくれる人がいることで、少し別の兆しが舞い込む。有り難い。そういう何気ない人っている。そういう人になりたいけれど、そういう人と分かり合えない次元にいるようにも感じる。スマートな人。憧れる。すごいなあ。

 

これまでを振り返る機会があって、他の人の振り返りを聴くと、どの人も「自分を生かした戦略」で学級を回していることが分かった。

 

そんな中での自分の戦略はダイナミックではなく、パワーでもなく、聴き慣れた言葉でもなく、力不足に感じるように思えた。

 

けれど、私が作ってしまった学級に今必要なのは「ながめる」なのではないか、と思える。

 

そうして、浮かんでくる問いや言葉を大切にしてみたい。

 

そこから、彼らの紡ぐ「ここから」の学校生活があるように思えてならないのだ。あとは、勉強不足である。教師は常に学び続けて足りない部分を補い続けて生きていくのだ。その終わらない穴埋め作業の連続が仕事である。無力感に苛まれそうだけれど、その穴掘りと穴埋めに「意味がある」と思い込んでやっていくしかない。

 

そこにドヤ顔はない。

 

「ひたむき」にやっていく。「べき」から離れて眺めることを伝えながら、前向きに歩む胆力のようなものを育みたい。劣等感に塗れても、自分を信じ抜けるような。まあ、これは言い過ぎ、願い過ぎだろうな。

 

「マインドフルネスブーム」を感じながら、大きな流れを信じて、自分を携えてやっていくということ。学校だけに呑まれていると、「べき」まみれで我を忘れるけど、そこはハックした方がいいのかな、うーんどうしよとか、もやもやしながら生きる今日。