かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

162|苦しみをたしなむ

これは、自分のジャーナルなんだな。

「かならず幸せになれるいきもの」について、そうではない側からの証明を延々と記録しているのだ。それをやっているうちは、幸せになれないような気もするな。幸せに向かっている過程は幸せなんだろうか。そもそも。

 

「幸せとは別にたどり着くためのものではなく、いつかの瞬間のことである」

 

とか言っておきたい。流れていく日々の中で、「美しさやおいしさ、楽しさ、面白さ、尊さのようなものに気づくこと」、それを幸せとしてもいいだろう。そして、それを味わうには、同時に相反する体験もいるのだろうね。そうなると、すべては幸せでしかなく、人はどうしたって幸せになるしかない。生きている限りは。

 

なら、どうすれば、粘り強く、だらだらとでも生きながらえられるのか。それに必要なのが温室体験、アジールなのではないか、と思うところがある。そういう原体験。集団でよいも悪いもあって、生き抜いた自覚。楽しいは作れるし、嫌もやがて乗り越えられると知ること。自分は変わっているし、変わっていけると知ること。それには、誰かとのかかわり(やりとり)やつながり(いるだけでも)が必要だと感じること。この辺りが教室には詰まっているといいな。

 

そのために必要な手立てを考えないとな。たとえば、「セレブレイトする仕組み」、「企むことができるグルーピング」かな、うちで足りないのは。また考えよう。

 

というわけで、にもかかわらず。

今日も良かった。人は恩を返すというか、なんか勝手にそういう跳ね返りを感じている。

優しかったハピペンに優しさを返していく。

 

今日のイイネを言わせれば、気になるあの子三連発だった。悪くないの認め方だ。それぞれの頑張りを見ていく。変化に気づく。すごいことだと思う。

 

育てたいこと、かつ、育てられることを挙げたいなと最近思っている。

  • 振り返る脳
  • 良いところを見つける脳

は、育まれているように感じる。

 

他に

  • リフレーム力も少しあるかな
  • 失敗を許す(相手も自分も)
  • 立ち直れることに注目する

 

本当はここに

  • みんななら解決できる
  • 話し合う楽しさ
  • グループでなんかやる面白さ

みたいなものを感じさせたかったが、今年は難しいなあ。

 

総じて、居心地がよいクラスです。

今、私は。