かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

163|良いという時ほど綻ぶなんてのは葬り去る

余分な同化が多く。

子どもへのネガティヴで不要な同一視が多かったのかもしれない。

いわゆる「課題の分離」である。

 

でも、やはり水曜には何かある。

用心の曜日である。

それすら、ジンクスに過ぎないだろうけど。

 

今日、「おー」と思うことがあった。

校庭の遊具で高学年と取り合いになっだという話が昨日あった。私は、「みんなのだよ」と言ってみたらと「正しさ」でぶつかることを提案してしまった。

 

そしたら、今日「ある子」が「友だちになろう」って言ったことで、よくなって楽しくなったと報告を受けた。「先生のより全然いい」、と言われてしまった。

「いや、本当に素晴らしい論理階型を越えて関係を変化させる素晴らしい介入です。恐れ入ります。」と思いました。

 

 

よい。

ただそれだけ。

それだけの観念。

 

なる。

ある。

なっている。

そうである。

それが当然であるとする。

 

余計な「べき」や「かもしれない」はさておく。

よいのだから。

それ以外はない。

他には何も起こらない。