かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

164|絵の描かせる指導がさっぱり分からん

他の教室と比べると歴然と違いが出るのはなぜなのだろうか。子どもたちに申し訳ない。

 

たぶん、カンファレンスが下手なんだろうな。

何かいい言葉をかけると違うのではないか、と思うのだけれど。難しいな。うーん。

 

これは、学ぼうと思って何かこう「グッ」とインプットをしないと、伸びないことだな。まずいなあ。

 

「自由にのびのび」とかね。なんだろうね。

  • ザツさ
  • 塗れなさ
  • 棒人間
  • 空いた空間
  • 文字

「絵で表現する」ということは、どういうことかを知ってうまく先導できないと、どーにもこーにもである。たとえば、苦手な子ほど絵以外の表現に手を出すわけだろうな。

 

想像という「ないもの」を描かせるときに、もっと対話でイメージを膨らませる必要なんかもあったのかもしれない。「十分に『これだ!』となってから描かせるというか。

 

中途半端にロジックが入ったからこその滞りもあるのかもしれない。一発ドーンと描かせるというか。もしかすると、もう少し手順を示すとよかったとか。どこがつっかえているのかまるで分からない。家にある本をきちんと見てみるしかないかな。

 

中には描きたいものを描けている子もいるんだよな。ああ、だから、そうか。描き直しをさせてみるのもいいのかもしれないな。ちょっと知識・技能よりだけれど、一度描いた絵を「もっと自分がこうしたい」というような表現に近づけるとしたら、何がしたいか。そのために何ができそうか「試す」。それなしで臨むから滞っているような気がする。気にしているのは、積まれる資源ゴミということなんだけど。ゴミを出さないためのうんぬんカンヌンもあるかもしれないし、そもそも出してはならないのかどうかのセオリーも分からない。その資源もまたどこかで昇華することも可能と捉える策もあるのかもしれないし。アートというか。図工はブラックボックスな部分が多いかもなあ。どうしようかなあ。