うまくいかないとすれば。
それは、何か「自分の作法によって」だ。
たとえば、それよりも「他の何か」に特に注目を与えているということ。
もしくは、初めに「そもそものその事柄についての指導」が出来ていない。
残念ながら自然に気がついてできるようになることなどというものは存在せず、常に立ち止まって教師は必要な指導を考えなければならない(当たり前)。
また、手放していくステップにどう入っていくかにも駆け引きがある。教師に指示されて動くのではなく、自分から動けるようになる必要がある。このご時世だと条件に「密にならないように」が加わり、手順が少し増えて厄介である。
そうだなあ。
その都度
- 「どうして?」
- 「どうするといい?」
- 「どうしたらできそう?」
- 「それでやってみる?」
というような、集団で解決をしていこうというような、よりよくなっていこうというような風土を作っていく必要がある。
一つの事柄ずつ消化していきたい。
そして、それは、特段調査の良い日に鍛えておく必要のあるもので、前頭葉疲れました状態の時には無謀である。
アドラー心理学の子育てより
「不適切な行動をする背景」には、4つがある。
-
その行動が不適切であることを知らないとき
- その行動が不適切であることは知っているが、どうすれば適切な行動ができるのか知らないとき
- その行動が不適切な行動であることは知っており、適切な行動も知っているが、適切な行動をしても望む結果が得られないと信じているとき
- 不適切な行動で注目や関心を得ているとき
太字が大事。
そして、これらは、アドラー心理学の目標や信念に向かうために指導に生かす。
自立して生きていく
周りと調和して生きていく
私には能力がある
周りは私の仲間である
『指示は一回』より
- 話は一回しかしない
- 子どもの発言を繰り返さない
- 聞いていないと困るように仕向ける
1.はうまくいっているように思う。
2.は、学びの協同体のとはズレるけれど、環境が違うから諦めようかな。そして、「聞こえないこと」を子どもが対処できるようにする。これと、授業のテンポとの兼ね合いが心配になるけど。
3.は、ことあるごとに、こちらが言ったことを、子どもにも言わせてみることだな。気をつけてやってみよう。これで、多少聞くことへの意識が変わるはず。
あと、こちらの記事の「1/31の先生でしかいられない」という言葉には、それぞれの先生の哲学が詰まっていそうで、惹かれる表現だった。