かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

才能ってなんだっけ(旧:生きるって楽しいじゃん)

 才能ってなんだっけ。

 一人ひとりの発達特性。認知特性。
それを、素直に見つめる目を、純粋に見つめる目を。

人間とは可能性の生き物でもあるし、自分自身をよく見据えて、自分は何をしたいのか、何をすべきかを見定める必要があるのだと思う。

才能について昔書いたブログの記事。
ケーヌの街(2008/07/02)

『才能』
命と時間を書いていて、才能について湧き上がってくることがありました。

『1歳のIT社長はいない』

命の価値。

それはそのまんま時間の価値を表しているように思う。

いや、価値は能力によってつくもので、その能力は才能だから時間は関係ない。
そう思うだろうか?

たとえ1歳だってIT技術があればもの凄く価値があるということになるが。

まぁ、それはそうなのだが、私はそれは無いと思う。

能力は、もちろん才能も関係あるが、実際は結局それにかけた時間によって身につくものだと思うからである。

全く才能のない人でも、やりさえすれば、時間をそれにかければ一応ある程度まではできるのだ。

逆にやらなければ、全くできないはずである。

そして、そのある程度の先に行けるかどうかが才能なわけだ。

ほら、だから才能の無い奴じゃある程度までしか行けなくて、結局時間じゃないじゃないかと言うだろうか。

いや、そこが肝だ。

恐らく、才能のない人は、それに対してある程度以上の時間をかけれない。
たとえば、それの才能がある人というのは、それに時間をかけるのが苦しくないのだ。
意地などで時間を費やす場合もあるかもしれないが、心の奥底ではそれを楽しんでいるはずで、あくまでもプラスの感情で時間をかけるわけだ。

だから、時間をかけると言っても、ただ時間をかければいいわけではない。
否定的な感情で無理矢理時間をかけたり、そこから派生した意地だけで時間をかけても、先には進めないのだ。

前向きに自然とそっちに体が、時間が向いてしまうような。
そうできることが才能で、あなたの才能はそうできるものにあるということだ。

これを、もう少し分析する。

まず、能力というものを身体能力にもあてはめてみてほしい。
たとえば、高いところから物を取り出すという仕事があって、それは2mのところにある。

ある人がたとえ手が届かなかったとしても、ハシゴを持ってきたりすればいい。

しかし、この仕事においてライバルが身長2mの人だったとしたら。
この仕事でその人に勝てるはずがない。

ここに才能にまつわるヒントはないだろうか?

まず、この事象には才能は関係ないということに気づいてほしい。

誰だってやれば、ある程度のところまではできる。

しかし、その先は才能だと言った。

そして、その先とは、自然とそれに時間を使えるかということだ。

そして、時間を掛けられるかどうかは、実は既存の能力と関係があるということをここで知ってほしい。

たとえば、ここでさらに時間を使ったとしても、身長が2mもない人は、前の自分よりかすばやくものが取れるかもしれないけど、生まれもった能力(才能)である2mの身長の相手にはどうやってかなわない。

たぶん考えなくてもそれが分かって、小さい人はこの人に対抗するためにこの事象に時間をかけるということはしないはずである。

結局、才能とは生まれ持ったものでしかないということになるが、

そうなのだ。

そして、それは同時にその人がそれに時間を超絶的に掛けれるということになる。

2mの人ならば、さらに時間を費やし、さらにさらにどんどん早くすることがきっと可能だ。

この、自分が「これは自分に合うな」と思える感覚は重要だ。

ここで一度まとめるが、

・才能とは、生まれ持っているもので、その生まれ持ったものに人は自然と時間をかけることができる。
・才能=時間をかけられる
で、
・時間をかけられることが才能なのだ。

生まれ持ったもの、才能、時間をかけられるは、同時にあるものなのだ。

だから、たとえば、自分が時間をかけられないことは、それは自分の才能ではないものなのだ。
そして、才能は生まれ持った能力によって決まっているから、それを探せばいい。
さらに、生まれ持った能力が才能になるということは、その時今の自分にあるもの。
その時の今の自分を見渡して、思いついたプラスの感情になれることをする。
それに時間をかければよいということだ。

そうするだけで人は幸せに才能を発揮できるはずである。

そして、才能の代名詞であるプロフェッショナル達の中で、才能に時間をかけていない人はいない。
これは、まさに上で言ったことが確信になる事実だ。

プロが「いや、全然練習していないし、全く興味もないくて、それに時間を掛けていないのになぜかできてしまうんですよね。」
なんていう奴見たことないし、探しても見つけられなかった。

私が天才、才能人を思い浮かべて、まず思い浮かんだのはモーツァルトだった。
彼は幼くして、作曲をした。
そして、それが素晴らしいものだったらしい。

天性のもの、生まれたときから出来た!みたいな話。

そんなのありえないと思うのは、私がひねくれているからだろうか?

いや、そういうことはあると思う。
まるである種の優れた神様が乗り移っているかのような存在。

けれど、これらは昔話にすぎないのだ。

研究によれば、、こんな逸話もされている。

彼が模倣の天才だったというのだ。

いくつかの曲が、他の作曲者の曲に似ていたらしいのだ。

これを聞いていろいろ考えた。

もしかしたら、というか、事実だろうが、彼は勤勉家だったのではないと。

しかもプロの勤勉家だ。

きっと誰にもばれない様に勉強したに違いない。

彼は必死に練習をしたのかもしれない。
ピアノに触れずとも何度も想像したり、人の見えないところで何度も指を動かしたのかもしれない。

もし、こうだとしたら本当に本当に天才すぎる。
(などと私なんかが言う権利はこれっぽっちもないのはもちろん承知している。)

さぁどうだろうか?

能力は時間によって生み出されるということを納得してもらえただろうか?

時間がなければ人は能力を手に入れることはできない。

つまり、1歳のIT社長はいないのだ。