本を捨てよう!と決意した「ハピペン」です。
「捨てる力」は人生で重要だと思う。情報過多で、フットワークが重くなって出てくる生きづらさってある。
そんなこと言いながらも新たな本も増える矛盾(笑)。
完璧主義と仮固定
今日は、この本を見た。
すごい手抜き - 今よりゆるくはたらいて、今より評価される30の仕事術 -
- 作者: 佐々木正悟
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2015/12/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
私は、最近、短所として完璧主義があると感じていて、それをなんとか脱したいと考えている。完璧主義ってめちゃ生きづらい。そして、時代にあまり合っていないように思う。
情報もエビデンスも際限なく現れるからだ。
ある程度の「仮固定」が求められる。
この本は、千葉さんが 『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を執筆中に励まされた本だったと紹介していた。
最近よく使っている「仮固定」も、『勉強の哲学』で使われている言葉だ。
本を精選しよう
ある本が何の目的で読まれているか、これがとても大事だと思う。
二つの目的があると考えた。
それが「何のため」と「なんとなく」である。
- 「何のため」の読書
目的がはっきりしている読書。自分の「在り方」や課題として感じているテーマと紐づいていて、思考を深めるための読書。 - 「なんとなく」の読書
目的がはっきりしていない読書。自分の「在り方」や課題に紐づくかもしれないし、紐づかないかもしれない、思考を広げるための読書。
この二つは、往還するところもあると思う。最初のきっかけがどっちかっていうことに過ぎないと思う。
ただ、本を選ぶときは、深めようか広げようかと迷って手に入れると思う。
この本は、自分を深められそうだな。この本は、自分を広げられそうだな。と意図をもつことで、捨てる本の判断に役立ちそうと思った。
「迷ったら捨てる」って視点をもちつつ、それでもモヤっとしたら、これで判断したい。
「アイロニー」と「ユーモア」
- アイロニー=「根拠を疑う」
超コード化からの脱コード化(無限に続くそもそも論)→現実それ自体を目指す。- ユーモア=「見方を変える」
言語の環境依存的なつながりによってコードを変える。「勉強の哲学」より
アイロニーは、今を批判的に見ていく視点。その行きつく先は、形而上学的であり、より実際的な体験を求めるようになる。しかし、ある事柄に対する真の体験などは存在せず、見方でいくらでも変わってしまう。
つまり、アルティメットを目指すと、永遠に辿り着けない苦しさが生まれる。
ならばといって、全く違った考え方を求めて人は、目移りする。それがユーモア。
ユーモアもこれじゃないこれじゃないと次々に転移する恐れがある。宇宙の広がりが無限大なように、真の体験を知りたいという広がりもまた無限に陥り、永遠に辿り着けない苦しさが生まれる。
となると、必要なことは、ユーモアによる座標の固定と、アイロニーによる採掘だ。
その仮の座標の固定を「仮固定」と言っている。
そして、ある程度そこを掘るってことで、自分の抱く価値観が社会ウケする可能性がある。
そうなると、社会で自分らしく生きられる可能性が高まる。これは、自分の生きやすさにつながるだろう。
どうやって「仮固定」するか
自分の中に価値観はすでに潜在している。自分がつい話してしまったり、心に残ったり、質問したくなってしまったりすることが、自分が関心を持てることである。
エピソード記述の考え方に似ている。
自分が関心がもてることに出会うまで、人はユーモアで探索し続ける。
読書でいえば「広げる読書」である。
そして「あっ、これ知りたい」となることがある。
そのときに「何のために」と「どういう経験・感情・価値観から興味を惹かれるのか」も考えると、アイロニーの質がよくなる。質がよくなるというのは「ゴールイメージ」をもって採掘に取り組むということともいえる。
「アイロニー」も「ユーモア」も結局は自身の在り方につながっていると思う。
アイロニーとユーモアによって自分の在り方の高まりを感じると、人はまた座標を変えたくなり、新たな学びが始まる。
この自分を成長させていく楽しさが、本来的な学びなのだろうなと思う。
というわけで、本を捨てるかどうか、この本は自分を深められそうか、広げられそうか。この本は自分の在り方をアイロニーできそうか、ユーモアできそうか、考えながら、選んでいきたいと思う。