かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

【楽しくない……のはなんでか?】ネガティブと手を取り合ってステップを踏んで踊れたら楽しいだろうか。

朝起きにくくて参っている「ハピペン」です。何か後手後手のゴタゴタになっているような気がして生きづらい。そういう性なのだけど、手は尽くしたい。

 

目の前に全力!今ココ!は、大切にしているものの、いまいち乗れない。

 

そういうときって、「自分と向き合えていないこと」が少なくない。

 

週次レビュー等が足りないのかなあとも思ったけど、そもそもの根底が違う気がする。

 

今年はいろいろな設定を持ち出して自分を越えた(といっても結局己から出る選択だから、普段ならば選ばなそうな)自分を体験しているけど、それを、やりたいことにヒットした、本来的な自分として過ごしているけれど。

 

それでも、つい見たくない自分は見ないようにしている。本当の自分(?)とした中に潜む、嘘ぶいた自分。

 

私はそもそも徹底的に自分をなじりたおしたいのかもしれない。そういうエンジンのかけ方なのかもしれない。

 

突如として、成り行き任せの自分を信じたくなる。

最後に選択しているのは自分なのだから、そこは気にしなくていいのかもしれないけど。

 

と、先延ばしにするのはこの辺にして、ごそっと掘ってみよう。

 

ワクワクがないことの悪循環を暴きたい。

 

今日は箇条書きまで

  • 教室のネガティブな雰囲気
  • 職員室での自己重要感
  • 市や学校の特別支援(人間)理解
  • 考え方の基本が個別の問題への矮小化

おや、これはすべて、自分の人間性の問題とリンクできるかもしれない。

子どもの前では、笑顔を絶やさないでいるが、大人の前では違うと思う。そこから、悪循環のスイッチが入っているだろうか。

そして、今年は残業しなくていいときにしないので、そこへの後ろめたさもある。そりゃ、いつも遅くまでいない人よりはいる人に重要性を感じたくなる。重い役もそもそもないしね。

結局は、所属感の問題かもしれない。

しかし、所属しようとすると、自分は好きではない色に染まってしまうのかもしれないと思う。

言いたいことは、そういうことにして、お前は自分と向き合っていないんじゃないか?ネガティブの黒幕はお前なんじゃないか?って問いだ。

打ち解けているかいないか。そういうのはお前次第じゃないのか?ってことが言いたい。

 

一応、言い訳もやっぱりすると、それは、私の立場は支援だし、それに関心がない人たちに私がどんな役割をもてるか……。

 

「あ、そうか」

よく言われるけど、飛び越えているせいかもしれない。

 

前任校は、支援についての理解が進んでいた。ある先生が支援をして、3年目、そこから、3年。今の私がもっている以上の考えで3年、その後引き継いで3年経った場所だった。

 

今の場所を、1年でその6年後までもっていくのは、簡単ではないというか、そもそも人々に対して雑すぎないだろうか。

 

私は今年度が終わってもっと残せるものはないかという焦燥感に打ちひしがれてんだ。

そうそう「特別支援のいろは」を用意しなくちゃ。これは、けじめとして必ず残そう。

上手くいかないとしたら、これのどれかが抜けている。ここに「何のために」を見出して、まあ「子どものために」だけれど、社会の未来も見据えて「自己肯定感」とかそれでいいのかって、そして、覚悟を決めて続けられたら目の前の子どもは100%変わる。なんたって、教師がこれかもしれないってことに覚悟をもって継続してんだから、変わらないわけがないんだから。

 

今年は強い指導をしていない。っていうような、背中を見せるつもりでいたけど、そもそも関心がなくて、背中なんか組んでいる人しか見られないんだから。

興味・関心を持たせる段階だった。Howと成果を残す。そこだけは、スコープ。

 

戦略があめーんだよ!