夢を見た。「ハピペン」です。
はじめて小学校で働いた年、一緒に組んだ定年の先生の夢を。
その先生が、あるクラスに入って授業をしたのを見たことがあった。
授業時間がはじまる。
机の上にランドセルが置いてある子が4名。
ロッカーの上には段ボールが二つ。机の上に乗っている子も2名。
みんながそれぞれしゃべっている。前を向いている子は0に等しい。
さて、どうするか。
その先生は板書をした。
伝説の板書
1.机の上は、筆箱だけにする
子どもたちは板書を無邪気に読み上げる。
そして、筆箱だけになるのを待つ。
まだ話している子もいる。けれど、とにかく待つ。
次に
2.前を向く
と書いた。ざわざわしながら何名かが動く。これも無邪気に読み上げていた。
3.足は机の中に入れる
と書いた。これもひたすら待つ。やはり無邪気に読み上げていた。
4.確認はこころの中でする
これで、声が減った。まだ、話す子もいるが、周りの変化に口をつぐみはじめた。
最後
5.質問は手を挙げてする
と書いた。
ここまで15分以上かかっている。
この間、一言も発さずに待った。
みんなの(いわゆる)「聞く姿勢」が整うと、笑顔で話し始めた。
感情との戦いだったと思う。
ただ、私は、子どもを否定しない真髄のようなものを思った。
できると信じて待つこと。できたら笑顔を送ること。
終わった後は、どうなることかと思ったというようなことを言っていたが、やっぱり間違いないというようなことも話していた。
何か策さえ合えば子どもはできるってことだ。
しかるべき手段に出会えていないだけ。子どもたちは状況への反抗をしているだけ。
やりたい、良くなりたい、できるようになりたい、友だちを好きでいたい、先生を好きでいたい、学校を楽しみたい。
本当はどんな子だって、そういう思いを抱いている。そのための環境調整力だろうか。
もちろんどこでも通用する話ではないのは百も承知です。
夢を見た
自治体の研究大会のような雰囲気。どこかの小学校にいた。
そこで合同で学校が集まって授業を行っている(実際はそんなことあり得ないだろうけど)。
そこで、キャリア教育の一環のような感じで、面接の練習をする授業だった。
前の机に3人の大人が座っていて、子どもが向かいに座って聞かれたことに答えることを体験する授業。
上の板書の先生が、それを批判していた。
「あんなことしたって嫌な記憶が残るだけじゃない。」
「せっかくいろんな学校で集まっているんだから、もっと楽しいって思えることをしないと。」
「そもそも愛がないじゃない。」
いつも子どもの目的から目を離さない人だった。
夢の中なので私が作り上げた像にすぎないが。個人的に忘れたくないことたち。
まあ、当たり前なんだけど。定年まで。そんな風に子どもを思うことを覚えていたい。
あと、忘れがちなのだけど「特別な時こそ特別なことをするのではなく、いつも通り行って成功体験をさせること」って結構大事だ。
TPOってことだなあ。その日その時その人で「それをやる意味」を問う。
一年目に「子どもの力を試すのは校外でなくていい。試すのは校内にしなさい」と言われたことがある。万が一があるからだ。
愛ね。愛。そういうの感じさせられたらいいなあ。
「知識のない愛」についての記述がある記事。