かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

【Wake up you!】「社会問題をジブンゴトとするために」

いいよ!いい!いい感じに、容体を悪化させたけれど、ルルの力によって、思ったより回復している!!!

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というか、スッキリしていて驚く。一日PCやスマホを触っていないとかも関係するかも。 前に小脳が疲れやすい(頭の後ろの方)と言われたけれど、情報過多になると暑くなって鈍痛のあるその小脳が疲れていないって感じ。9:00~21:00のイベントに参加してたのに!そういうイベントができるようになれたらすごいなあ。

 

昨日は、「IMPACT Japan 2017」に飛び込んできました。

「Wake up Japan」という団体が開催したイベントです。

テーマは「社会問題をジブンゴトとするために」です。

私は「OXFAMのユースグループのメンバー」として「対話の実験室」を担当しました(私はそんなに出る幕がないと思ったのに、思ったより比重が多くて吹き飛ばされそうになりました……。)

 

さてさて、どうしたら社会問題がジブンゴトになるでしょうね?

 

個人的な感想をまず書くと、心が軽くなった気がします。
社会問題はジブンゴトにした方が精神的に明るくなれる。

 

どうしてかというと、不満ってなんとかできるってポジティブな気持ちが湧いてくるからだろうと思う。

 

いろんなテーマがありました。

私が聞けたことは、政治、自然保護、日中韓、正しいとはなにか?、性暴力、社会問題をジブンゴトにするには、といった話。

 

そこから学んだこと3つをシェアします。

 

続けること

8月からNGOでボランティアとして活動させてもらっている。まだ、何かを変えたとか、何かができたという実感はないのだけれど、何度か顔を合わせるうちに、不思議と回りの方の態度や、自分の感じ方に変化を感じる。

最初は、自分は場違いなのではないか? とよく考えていた。しかし、何度も参加することで伝わることってあるのだ。信用が生まれるというか。本当に関心があるのだなというか。

そして、これが一つジブンゴトにするためのポイントかもしれない。

自分の人生の予定、タスクの中にそのモノゴトに関することが入っているってことだ。 

 

社会問題は現在進行中だし、解決の真っ最中でもある

社会問題は遠くのことで、誰か解決したい人が解決しようとしていて、個人には一般人にはただの人には関係ないっていう感じがあるかもしれない。

けれど、社会問題は「今」起こっていて、「今」解決しようと誰かが動いている。

100%解決できる方法で進んでいるわけではない。

そこにはいくらでも人が必要で、参加すればすぐに何か役割があってこれお願いします、ってわけじゃないけど、 自分が関われる社会問題に関わることで、自分の生きざまを示せるところはある。

やはり、継続して関わって、自分が必要なときに、腕を振るうのが大事だ。いなきゃ振れない。だからいる必要がある。

「今」、問題と向き合っている人がいるのだということを感じられると、じゃあ、今の自分にできることはないのか? と考えることができると思う。

この時代に起こっている様々なこと、それを後世とどうつなぐかを私たちは担っているのである。今こうしているときも。

たとえば、関わらないという選択をしても、関わらないという関わり方をしているということになる。

自分はどんな姿勢でいるのか、考えていけたらいいと思う。

私たちは、社会問題が起こっている今を生きている、ということを押さえておきたい。

社会問題をジブンゴトにするには

問いはこちらでした。

社会問題がジブンゴトになっている状態とは?
その状態になるためには?

私のグループで出た意見

  1. 共感
  2. 放っておけないと思うこと
  3. 想像力
  4. "たい"が生まれること、そのためには、心・感情・偏桃体が動く
  5. 起こって自分の感情が動く
  6. 行動が伴う
  7. 知る
  8. 会う

私が出したのは「4」です。

 

そして、違和感や不条理を感じたときに、どうすると動きたくなるか。

その考え方として「価値観」を挙げた。

同じ現象・事象・事柄・事態・状態などに対しても、人それぞれ心が動くポイントは違うと思う。

 

アンパンマンは基本食料問題担当。お金で困っててもピンと来ないというような感じに。

 

つまり、起こっている何かが、自分のもっている価値観に触れると障るとジブンゴト化するのではないだろうか。

 

怒鳴っている教師が、怒鳴られたときに「これは堪えますね」と言っていた。

そのときに、「人付き合いとはそういうもんなのだ」として、その後も子どもを怒鳴ったっていいのである。でも、これは「どこかおかしい」「苦しみがある」「違和感を感じる」と思えたなら、ジブンゴトとして自分が変わること、何かを変えようとすることができる。

私が見ていたケースの場合は、そうしたことを振り返って留めておくことができたからかもしれない。どのような不条理も、なかったことにすることができなくはない。ただ、そうしないとする正義が、誰かの助けになる可能性がある。

 

本当に困っている人が助かるようにすること。私はそれが「ソーシャルジャスティス」だと思う。それが、自分のときももちろんあるだろう、そして、他人のときもある。

そのとき一番困っている人を助けられる人間になりたい。

 

一晩経って、朝、会場で聞いた話の一つを反芻していた。

具体をメモしていなかったが、バスか何かでの差別やヘイトに対して3人の男性がかばったら、2人が死亡し、1人は重傷を負ったという話だ。

 

「対話の実験室―正しいことをするのであれば規則は破ってもよいのか?」という内容でワークを行ったが、その中で出た正しさについて

  • 議論の余地があるか
  • 人それぞれに違う
  • 自己保存、種の保存
  • 自分の中のルールで済む場合と済まない場合がある
  • 大勢だとやりやすいが最初の一人がいる

一つのヒントとして「後世にどんな世界を残したいのか」という視点がある。

これは、ジブンゴトにするためのヒントになる一つでもあり、後世の生きる世界がにその問題が残ったままでいいのか? を考えると動き出すとは何なのか見えるかもしれない。

 

私は「人間でありたい」と思った。せめて「人間で在ること」を大切にしようと。

何が人間を人間たらしめるかと言えば「愛」と「勇気」だ。

これは、少なからず自分自身も「勇気」をもって自分なりのソーシャルジャスティスを体現しようということと、自分のできないソーシャルジャスティスを体現している人に対して敬意をもって「愛」を示そうということである。

この二つは相互補完関係にあるのだと思う。

「勇気」を感じない人へは、「愛」をもって「勇気」を与えたい。

「勇気」を感じる人へは、「愛」をもって「尊敬」と「感謝」を。「私にできないことをしていることに敬意を表する。そして、ありがとう。」

「愛」を感じない人へは、「勇気」をもって「愛」を与えたい(問題を解決する行動をしたい)。

「愛」を感じる人へは、「勇気」をもって「▲▲」と「△△」を。(思いつかない……。)

 

すべてのことに「愛」か「勇気」かで応じられたなら、少しは人間らしくいられると思える。

 

あなたもいつ起き上がってもいい。

「Wake up you!」