かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

カップヌードルミュージアム

 

昨日は毛ガニを食べる幸運に巡り合った「ハピペン」です。「へぇーペンギンってカニ食べるんだー」とか言わないでねっ。

 

先日、ミュージアムについて | カップヌードルミュージアム 横浜に行ってきました。

 

創業者の「安藤百福さん」と「カップラーメン」の話が面白かった。

 

私が学んだことは、「完璧目指す」ってないなあってこと。

 

「願い」があって、そのために「一つずつ」乗り越えていくというイメージ。

 

360度の角度から見る

道徳っぽい?!

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そこから生まれる「はじめて」。

教室は、子どもたちにとって「対話」によって「はじめて」を生み出せる場なのかもしれない。

全部知ってることを教わっていたら、その場の意味は大きくはない。

 

◯◯できない、なら、◯◯できるアイデア!

できるとしたら何がいるのか?

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自分に何ができるか? じゃなく

自分に何が合うか? じゃなく

 そして、「常識」を越えて「常識」になる。

「常識」って大衆で変わるんだなって怖さもある。体にいいとか悪いとかもなのかな。なんか不思議な感覚。

 

「銀座歩行者天国での試食販売!」

こういう戦略もすごい。

 

あさま山荘事件の中継の際に機動隊員が食べている姿が放映されたのも大きな宣伝効果だったそう。

 

20世紀世界を唸らせたメイドインジャパンになにを思う?

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「ポ、ポケモン!」

 

やっぱり「ものづくり」なのだなあと思う。これまでは。

これからは、どうなのだろう。ハードではアップルに敵わず? ソフトでいけるのか?!

 

言葉や理屈じゃないんだよね。

 

「不便」や「つまらなさ」に強いのかな?

そうした「不満」に「クリエイティブ」で解決してきたって感じかな。

説き伏せるとかではなく、何かを生み出してきた!!

 

その「わくわく」「出る杭感」「失敗を楽しめる」「楽しみたい気持ち」を育みたいなあ。

こういうのね。

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アンチ学校でいくと、学校は「不便」や「つまらなさ」に"耐えろ!"ってことを教えようとするところがある。

 

その「なにくそー!」って精神を鍛えたいっていうのがあるのかもしれないけど。

 

世界に行くには、それを「はねのけるような強さがいるのだ!」みたいな。

 

実際、先生たちはそう思って育てているのか?

 

 それ以上に

「社会はつまらないですよベース」、「耐えないと仕事ないですよベース」を与えているだけなように思う。

 

そういうときもある。そうだったとして「じゃあ、どう乗り越える?」を育てたい。

本当「"隊"」状態で、一人ひとりを戦わせようとしすぎなんじゃないか?

 

いざというときどう「国防」をしたいかを話し合ったらその人の教育観って出るかも。

 

私は「人間を捨てなかった人」でありたい。目の前の人を人として見尽くした先に平和があるような気がするし、夏に「平和祈念資料館」に行ったときもそう感じた。

手探りな時代でも、私たちは「与えられてなくなんかない」 - かならず幸せになれるいきもの

 

 それじゃ。