かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

ちょっとしたこと

少し早寝ができた「ハピペン」です。

 

インクルーシブに関する意識ってどれくらい重要か。

 

上手く語れないのだけど、様々なところに当たり前のように潜在しているべきだと私は思う。

 

結局、手に負えないから、あの子がおかしいって感覚は怖い。

 

あるクラスは切りが良かった。たとえば25人クラス。通常学級在籍は24人。支援の子を入れて25人。当番表を作りやすかった。

ある日転入生が来た。

表は25人のままだった。次の日から支援の子の名前は抜かれていた。

 

学級委員のようなものがクラスにある。

学期のはじめに朝会で任命式がある。

支援級の子の出番はなかった。

 

少し違和感を感じて言ってみる。

いろいろな先生が他の学校では、あったと言い出す。

 

ちょっとしたこと。

関心がないと「ない」ってことで終わる。

 

インクルーシブは、文化とシステムの両面が必要で、文化は気づいて築いていくしかないように思う。

 

違和感が大切かもしれない。

あれ?

今何か大切にされなかったんじゃないか?と。

 

関心があれば分かることも、関心がないと分からない。

 

そのちょっとしたことを、ないものにできるうちは、インクルーシブも何もないと思う。

 

私たちのほとんどは、職員室に障害者がいないことに違和感をもっていないのだから。

 

気づきか?

面倒?

合理性?

 

同条件を求める?

 

言い換え過ぎれば、公の学校では、ある条件がないと通常学級には入れないのか?

 

考えるほど違和感が増えるなあ。

 

全然違和感のないクラスもあるからだよね。

尚更、誰かの都合でそうなってるってことで……。

システムじゃなく。

誰かの文化で、教育観で。

学校で統一してほしいなあ。

 

そちらの考えに合わせますとか言われるしなあ。人に合わせるんじゃなくて、そこは全体で決めたいなあ。