ナラティヴセラピーにおける考え方の一つ。
原因を内在化するでも、外在化するでもなく。
問題を「外在化」してみること。
簡単に言うと、問題に名前をつけること。そして、その問題がいかに悪いか。周囲と当人とで「問題」を相手にしていく(原因を当人として当人を相手にしがちだが、そうしてしまう「問題」を当人と共に相手にしていくのだ。なんて画期的なのだろう!!)。
「外在化」によって問題を切り離す
第一に、
問題が当人や周囲の人から切り離される。
第二に、質問によって
単に、問題が別に存在しているだけでなく、それが当人や周囲の人に影響をあたえるものであることが明確になる。
第三に、質問によって
当人と周囲の人に、それぞれ別の影響を与えていることが明らかになる。
以上の手順は「影響相対化質問法」と呼ばれ、「問題から彼らの人生と人間関係を引き離す仕事」であるとホワイトは述べている。
(ホワイトは、ナラティヴセラピーの第一人者)
「他人のせい」や「社会のせい」というように「問題の原因」を外在化するのではなく、「問題そのもの」を外在化する。
やはり、独創的で画期的なアイデアである。
原因と影響と問題はごちゃまぜになりやすく、何が語られているのか見えなくなることが少なくないようである。
外在化によって、問題を切り離すことで見えてくる道筋があるとのこと。
「外在化」によって切り離された問題はどうなる?
次は
「問題の存続に関する彼らの影響」を探る。
この辺りの切り口はなぜ人と組織は変われないのか――ハーバード流 自己変革の理論と実践にも通ずるところがある。
目的、それを阻むもの、その裏の目的、作られている固定観念のうち、「裏の目的」のようにも思う。
問題は、彼らに様々な影響を及ぼし、彼らは問題に振り回されてきた。
しかし、すべてが問題のせいかというとそうではない。
「問題」が傍若無人にふるまうのを彼ら自身は許してきた面、あるいは、それを手助けしてきた面もある。
つまり、彼らは「問題の存続」にこれまでどのように協力してきたかを明らかにする必要がある。
がーん( ̄◇ ̄;)
となるが、この視点が好きだ。
R.ヴァイゼッカーの演説にも通ずるものがある。あの観点はナラティヴ的だったわけだ。関係性の問題に注目していたのだから(参考:https://www.happypenguin.net/entry/2017/07/26/%25E7%259B%25B8%25E6%25A8%25A1%25E5%258E%259F%25E9%259A%259C%25E5%25AE%25B3%25E8%2580%2585%25E6%2596%25BD%25E8%25A8%25AD%25E6%25AE%25BA%25E5%2582%25B7%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6%25E3%2581%258B%25E3%2582%2589%25EF%25BC%2591%25E5%25B9%25B4%25EF%25BC%2588%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2591%25EF%25BC%2589)
そして、このときに「ユニークな結果」も浮かび上がってくるという。それは、ブリーフセラピーでいう「例外」を指している。
このとき、同時に
①「問題の存続」に立ち向かった経験
②「問題」を無視した経験
③「問題」に振り回されずに済んだ経験
など
この例外探しが二つ目のステップとのこと。
たしかに、たいていの場合、「問題」に振り回されてきたわけだが、100%支配されてきたわけではない。そうした例外がたしかに存在する。そういう例外を拾い集め、なぜ、そういうことが起こったのか、そうした「ユニークな結果」は一体何を意味しているのかを考えてみること、それが次のステップとなる。
こうした考え方は「問題行動はパートタイムである」と言われる所以だと思われる。
「ユニークな結果」が明らかにされた後の質問
(にもかかわらず)
「問題に対抗するため、いままでどんなふうに対処してきたのか」
「どんな個人的、関係的特徴が、対抗するのに役立ったか」
「このユニークな結果の存在を知ったことで、将来どんな点が変わるだろうか?」
など。
「どんなふうに対抗してきたのか」は、ブリーフセラピーでをコーピングクエッション」と呼んでいるもの。
「外在化」の恩恵
問題を外在化することは、問題のひとびとへの影響だけでなく、ひとびとの問題への影響を考えることを可能にしてくれる点である。
問題を存続させ、それに力を与えているのは実はそれをとりまくひとびとなのだという視点が生まれる。
対処法のミス。
「注目」がほしいにもかかわず、相応しくないことに注目してしまえば、それは続く可能性がある。アドラーの考えともリンクする。
こうしてみると、解決には対話が有効なのだろうけれど。対話が通用しにくい相手もいる(単純な相性の問題の可能性も高い。私の対話では。ということ)。かといって、子どもが子どものやっていることにスルーしたり、言葉掛けをしたりの対処にも限界がある。そうなってくるといよいよ管理者は板挟みになってくる。
また、そもそもこの発想が、問題に栄養を与えているの可能性も高い。
ホワイトは
「問題とその影響は依存関係にある。問題の存続はその影響に依存している。つまり、これらの影響が問題の存続のための必要条件なのである」
その通りだと思う。疾病利得というような、トラブルによる旨味がある。その旨味を見抜けるといくらか状況を打破し得るのだが。。。
「ああ。」
私は飽きっぽく(と言うと聞こえが悪すぎるが)、一旦使ったことをもう一度使うことが少ない。子どもにとって繰り返しは重要にもかかわらず。
ある子には、ある時には「外在化」を使っていた。しかし、まだ気になるあの子に外在化を使っていなかった。
こうして思い出すためにも、本についても、自分が使っていこうと思っている内容については、定期的に目を通す必要があるなあ。
物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 野口裕二
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