かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

103日目:支えてくれる人なしでは立てんわなあ

いろいろな構造があるなあ。

 

あの人がいない円滑。

あの人がいなくても円滑。

 

みんな自分が可愛い。

出方を伺う。

 

ある人の考え、ミッションにのらない私は睨まれる。

 

「本当に今これ話し続けますか?」

と言ってしまう。

「でも、モヤモヤしません?」

(「なんだ、その理由ー!!)

 

結局、決まらず。

強めに言って早く切り上げてもらってよかった。

 

が、しかし、それは、ある人がいないって構造だからだと思う。

 

こういうの面倒臭いんだよなあ。

誰のためになんの足踏みをしているんだかわからん。

大抵は「自己保身」。

 

あえてしているキライもあるから苦しい。

自然でない人間関係。

snsみたいだ。

 

ハピペンです。

 

まくら、なっげー(笑)

 

勢いで文字を打ってしまった。

 

一週間が終わる

まあ、なんかいろいろあっただろうけれど、終わった。

 

じわじわと授業は進む。

 

平和について書かせると子どもからは、ポワポワした言葉が返ってくる。

いつか、どこかで、書こうと思う。

 

授業を楽しませたいなあ。。。

あんまり楽しませられていないと思う( ̄◇ ̄;)

 

「やらされていることが楽しい」を作らないと、「やらせていることを楽しませる」ができない。

 

「やらせる」を弱めちゃったから、コンテンツを楽しませることができていないような気がする。

 

子どもは勝手に何かを感じているかもしれないけれど。

 

そもそも、子どもたち全員を同時に楽しませるのは難しいと思うけれど。

 

道徳!

やばかった。

なんか「チーン」だった。

 

言わせたいことを言わさせる道徳になってしまったような気がする。

 

「考え、議論する道徳」が一切なかったわ。

揺さぶれていない。

考えさせるところを間違えた。

というか、珍しくちゃんと赤刷りを辿ったせいかもしれない。

赤刷りをたどる道徳は「心情理解」のための「読解」によりがち。

 

いつもは教科書を閉じていたのに、今日は閉じなかったのもよくなかった。

 

言うべきことを言わされて「はいはい」みたいな道徳になっちまった。

 

すべきことは、的確な相手に相談すること

「もーいやー!」という刃を突きつける。そんな魔法によって、管理職を頼れる身分に転身した。

 

所見と指導案について聞き、いくらか心が楽になった。

 

あとは、授業参観くらいだ。

 

この学校にある歪みは、やっぱりあるみたいだった。

評価基準がなかなか共有されず曖昧なことなど。

 

それにしても、相談に乗ってくれようとする構えが嬉しい。

 

ピンチな人のカテゴリーに入ったのだと思う。

 

私たち気にしなさすぎたよね枠みたいなところに入ったのだろうか。

 

いやいや、それくらい、見えないところで、問題山積なのだと思う。

それが、なかなか見えないのがこの学校の怖いところだ。

もっと、みんなで、たくさんで支援しないとって感じなのに、

 

やたらに意見が多くて、どうでもいいことに鋭い推測を入れて、でも、もし?とか。

それの「ダイジ」か「ダイジじゃないか」が抜ける。

 

ただ、ただ、感謝だ。

 

週明けおいしいものでも食べてもらいたい気分だ!