頭洗うのに年に2回くらいボディソープを押すハピペンです。「あっ」てなる。
今年職員用の自己紹介の欄に苦手なことの欄が合って、正直そういう感情ってあんまりなくて「目を合わせること」って書いてたぶんひかれたんだよね。
半分冗談で「そんなことないですよ」って言われたかったんだけど、未だにその言葉が引き出せず、逆に躍起になって、目を合わせまくる人になり始めていて、それはそれで、ナイスな宣言だと思い始めている。
そんなことは、さておきね。
声がいる
仮に、外側から、問題に気づいてアクションを起こすのって簡単ではない。
外側から問題があるって感じるってことは、既に正解があるってことで、その人の生き様を横から奪うようなイメージがある。主導権の剥奪。
だから、私自身は「言われれば動く」ってことが増えてしまう。
学校の仕事ってもはや「それは相応しくないです」って指摘することで課金されていってお給料が出る出来高制だと思い込んでいる人だらけかと思うのだけれど、私は待ちが多い。
そして、間違いなく、4・5月はそれが過ぎて、子どもたちの混乱もあっただろうな。
けれど、1対1だと話し合って解決できる子が増えてきているように感じる。
- まず理由を聞いてみる
- うまくいかないときは「じゃあこうしてみてこうだったら」を出せる
- どうしたらいいと思う?って聞く
すごいわ。
そして、ここ何日かお家の人と接触する機会があって、話を聞く。
どのお家の方も笑顔で話しかけてくれているように感じる。そういうのが嬉しいってよくないけど、やっぱ有り難いし嬉しい。相談もされる。
私からすると緊急度が把握しきらないのだけれど、少しでも解決してみたいなあとは思う。
そういう声があったので懸念を糧に動いてみる。
気になっていたAさんと話すことを決意する。
呼び出して、手伝いをしに来いと二人で歩く(ドラマの見過ぎである)。
本校は、なぜか職員室の前の廊下にはベンチが置いてあるので座れと言う。
聞きたいことは3つだよ。なんて言ってみる。
「宿題が何か分からないの?」(家ではそういうことになっている。しかし、こちらとしてはそんなわけないと思う)。
「ううん」
「そりゃそうだよね」
次ね「今、Aは家で幸せに過ごせているの?」
「うーん。わかんない。」
「お家の人にこうしてほしいってなんかある?ほかにあれが嫌とか。」(一応ブリーフ的にコミュニケーションの課題を探るわけだ)
「別にない。」
「なるほどね。」
「なんでこんなこと聞くかっていうと、昨日お家の方に相談されたときに、いつもより悲しそうに感じたの。だから、Aさんは今どんな気持ちなのかなって聞きたかったのね。」
うなずく
「オレはね、Aさんが幸せだったらいいなって思うの。ただ、それがお家の人には伝わっていなくて、どうしたらいいんだろうって悩んでいる感じがしたよ。」
沈黙
「たとえば、これは合ってないかもしれないんだけど、きょうだいができてからAさんの中で何か変わった?たとえば、よくある話で言えば家の人からもらう時間が減ったとか。」
「それはない。」
「そう。」
「じゃあ、なんだろう……。たぶん、何かが伝わっていないんだよね。だから、お家の方は困った顔なんだと思うんだよなあ。」
(いやーもう精一杯です。ちょっと手強いというか。本当に言葉にならないんだろうなあ。低学年相手にね。何でいくと、この子は入るんだろう?とかいろいろ考えたさ。ただ、とにかく、やっぱり、取り繕いはなしだとは思った。ただ、私はあなたの家族にあなたに幸せになってほしいだけなんだ。それだけを考えて話した。)
「たとえば、このまんまでいいんだよね。そーなると、AはAでいたいというか、Aなんだよね。あー、これか?AはA。ありのままでいたい。どう?」
「うん。」
「それはある?」
「うん。」
「あーなるほどね、そういうことね。ああ、一番Aらしい答えだね。あー良かったそういうことね。で、それをお家の人は知ってんの?言ったことある?」
「あんまり、言ったことないかも。」
(そりゃそうだろうね。メタしまくっているもの。そういうのが明らかにならないで、有耶無耶になって、なんとなく衝突したり、なんとなく仲直りしたり、なんとなくそういうもんだってことで傷もなかったことにして、幼かったことのせいにして過ごしていくのが家族だもの。ただ、それ好きじゃないんだ。子どもは子どもで言葉を聞いてもらった方がいいと思うんだ。)
「そう。まあ、それは自由なんだけど、伝えてみたら、お家の人は安心するかもね。そういうこと、って。分からないから困ってんだよね。まあ、言わないでこのままを楽しんでもいいと思うし。オレはAがありのままでいたいっていうのに賛成だわ。ありがとうね。」
オレはこの子が好きだ。
本当はどっぷり関われる相手。でもお互いどこか距離を置いている。どこか大人ぶっていて。今回もここまで、甘えられる大人を見つけては甘えるって感じでなくてもいいかなあと思うんだよね。そういう相手にはそうもしているし。
私はあくまで30分の1としてやっていて、たまにこうストーリーを紡ぐのだけれど。信頼しているんだ。大丈夫って。そういうエールなんだ。困って、迷って、苦しんで、泣いてそうやって家族をやっていったらいい。家族が家族で家族をしていったらいい。ちょっと会話の時間が少ないだけなんだ、たぶん。そう信頼しているから、Aが言葉を手に入れたところでカンマで。
「また、レクやるから来なよ?」
「うん!」
よかった。
ああ、コイツ社員にほしいわ。思えばそういう子だらけになってきたなあ。信頼できるわ。この子にはこの仕事なら任せて大丈夫。そういうのが見えてきている。
もちろん、ギリギリのところでやっている可能性もある。堪えている可能性もある。
ああ、あれか。
ヤフーの1on1―――部下を成長させるコミュニケーションの技法
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これがいるなあって思ったわ。
「問題の吸い上げ」の仕組みを個別のヒアリングでも作っておかなきゃいけないんだなあ。
むずいなあ。まあ検討してみよう。
いやあ、本当にグッと変わったんだよね。
お願いしたのは「ふざけと真剣」の切り替えなんだけど。ちゃんと今どっちかって意識して、やってみて、逆が結構あって、それがきついよと。
今日その変化を賞賛したら「よかったね」だって。
ああ、良かったよ!ありがとな!!
放課後は地域の方からの電話も受け。。。
私はそういう話も嫌いじゃないんだなあ。。。
問題。結構嫌いじゃない。
解決しないところに問題はないんだよな。
問題の先には成長しかないんだ。
それに気づいて変わっていく子どもたちを尊敬するよ。すごいよあなた方は。
余談
あと、今日は「誤答を生かせた」(はじめてかも)。
一人の子がかけ算の文章題の式を間違えた。
「今、Bさんは、成長チャンスだね」
うなずく
「今からみんなのゴールはBさんが分かるに変わったからね」と言った。
「Bさんが分かるように説明できそうっていう人!Bさん選んでいいよ」と言うと、指名した。
これが面白かった。この人なら上手に説明してくれそうって人を子ども自身が当てるっていうこと。思いつきだったけどいいと思う。よくあるやり方かもしれないけれど。
1回目の説明があり「100点中何点まで分かった?」と言うと「55点」だった。
「あと45点いける人ー!!」
再び選んでもらい2回目の説明で「99.9」だった。自然と拍手が起こった。あと少しは、次に問題をやることで、埋まると思うので次の問題へ進むことにした。
この明らかな当事者の成長をクラスで生み出す高揚感があった。どうしてか、人が変わる瞬間っていうのが、私は特に心が躍動する。希望を感じるんだろうな。いける。いけるよって。あなたは大丈夫って。