人っていろいろなことが起こって、耐性がついていくのだろうね。
だから、初めて出会ったことは、乗り越えるまでは、頑張るしかないね。それが、人生になっていくんだと思うなあ。
そんな日。
ユニットの一部
「あまりのあるわり算100問を5分で」ということを、1ヶ月近くやった。
ここに来て、100問を達成する子や100問に近づく子が増えた。
こうした「毎日やる」というペースを作って取り組めるのは学校ならではだと思う。お家の人は、今時忙しいし、それこそ、夕方なんてイレギュラーだらけなんじゃないかと思う。だったら、授業時間というのがある学校ができることがあるだろうなと思う。
同じことを毎日やると、伸びていなかった部分が伸びていくので、学んだという実感がなくない。
また、いろいろなことへの取り組みが素早くなったり、集中のスイッチを入れられることが増えたとも思う。よかった。
クラス会議の一部
「クラス会議」に今日も取り組んで、10分に二つの解決を紡げた。クラス会議のいいところは、議題箱に入っているうちに、解決が起こることだ。この話し合うまでの時差が、上で言う耐性というか、人生への信頼値というか、そういうののアップにつながるんじゃないかと思う。
解決には取り組むけれど、先延ばしにされた解決が、解決を生むことがある。それは、解決したい問題が起こっていない日への注目が起こるから生まれる。「いつもじゃないなら、まあ、いいや」というようなことが起こるのである。
解決というのは奥が深く。問題がない状態ではない。
会議の初めには「プラスのストローク」を3つ楽しむことにしている。
「言葉」「非言葉」「接触」の三種類のプラスのストロークのくじを引いて両隣の人と分かち合う(分かち合うってイメージが適当にちがいない)。
「言葉」
- ほめる
- はげます
- なぐさめる
「非言葉」
- 見守る
- ほほえむ
- うなずく
「接触」
- 肩を叩く
- 握手
- なでる
- ハグ
大変インスタントだけれど、朝の短い時間にクラス会議をやる分に、この中から3つをやるだけで、素早く雰囲気を切り替えられる(はず)。
それでも、境界を越えるほにゃららは起こる。
イラつくし、自分の中の正義がざわつくし、許せない!って思いもするけれど、それは彼らの人生への過剰介入だ。取り締まったって仕方がない。誰かが傷つく必要のない現場で誰かが傷つくのは、自分も痛むけれど、それはさておき、その子たちが「そこ」から未来を再構築できるように、「その」物語を紡いでいったほうがよい。どうなるかは、分からないのだけれど、やっぱり「分からない」ってことは、あれだよなって思う。あれ。
「これからどうなるかわからないけど、わからないってことは、すごくいいことが起こる可能性もあるってことでしょ。」 - かならず幸せになれるいきもの