かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

223日目:さよなら、ありがとう

輝かしい子どもたちとの別れの時が訪れる。ハピペンです。

 

いろいろくれました。

いなくなるということでリアクションをくれたお家は53%です。お忙しい平日に私に時間を割いていただくことは、あまりにも申し訳ない。

 

何人かに住所を聞かれる。細々とでもつながることの大切さを実感しているからお教えする。

 

6年間が終わる

小学校で初めて出会った子どもたちは、1年生だった。その子たちは今年卒業した。

 

今年度で、小学校の教師をはじめて6年が経った。子どもたちはいろいろなものをくれた。初めて「特別支援学級」をお願いされた時は少なからず戸惑った。自分に務まるのかという不安だった。けれど、学童の30人に注いでいた30人分への眼差しを注ぎ込めばなんとかなると思った。その分の愛情でなんとかしようと思った。置いてきた子どもたちに恥じぬように、子どもを見ようと思った。ハピペンのささやかな夢に、60歳を過ぎて思い出せる子どもがたくさんいること、というのがある。それに向けても、多様な子どもたちに出会うことは優先順位が高い(至極個人的なことを言っていて失礼極まりないが)。そんなこんなで背中を押されて、小学校での勤務がはじまった。

 

その後、半分以上は「特別支援」に身を置く。とても面白かった。人間を見つめられる場だった。

 

今年はその視座を生かしての「通常の学級」だった。子どもが見えなかった。見えなすぎて辛かった。それでも、子どもたちなりに受け取ってくれているようで、私がいなくなることで体調を崩す子どももいた(いや、それではいかんでしょ)。

 

「来年も、ハピペンがいい」

私に慣れてくれたとか、学び心地が悪くないとか、もっと教わってみたいとか。それはそれで、嬉しくなくはない。しかし、本当にこの病理をなんとしなければならないと思う。

 

要は、この学校は「誰が担任になってもいい」という安心感がないのだ。くじ引きがあり「当たり」「はずれ」があるということだ。そして、「公教育」というよりは、各々の教師の繰り出す術によって、保護者から見た「良い教育」「悪い教育」があり、リアクションが起こるのである。

 

それは「教師がいくらがんばっても仕方のないこと」と言えるくらいに、その事態に抗っているなら別として、そうでもない。一部の鋭いお家の方には「このドア一枚の向こう側にいろいろあるのだろう」「連携していないのではないか」ということが、ドアの隙間から滲み出て勘づかれているのだった。

 

私は、誤った権力の働く職場からさよならしたい気持ちである(どこがそうってことでなく)。

 

それにしても。

残念ながら今の職場とはさよならだ。

 

この日、23時過ぎ(終電ぎりぎり)まで残っていたが、片付けきらなかった。

 

つづくである。

 

来年度の話(数秘術)

あまり気にする必要がないだろうけど、数秘術の年回りと同じ経験年数を歩んでいる。

 

スタートの「1」の年が一年目

流れに身を委ねる「2」の年が二年目

子どもらしくありのままに「3」の年が三年目

安定を求め不安から変化を望む「4」の年が四年目

自由に思いつくままに「5」の年が五年目

愛あふれる「6」の年が六年目

 

そして、

自分を見つめる時間をもち、自分自身の調和を図る休息「7」の年が七年目

これが、次年度である。

 

いやはやまったく「休息」に相応しくない年だ。しかし、だからこそ「休息」についての示唆に富んだ年になるかもしれない。むしろ思しめし。私が「休息」から遠ざかりすぎないように、年間を通じて「休息」をかかげてくださった。

 

来年度は、来年度で楽しもう。

 

タイトルに「ありがとう」を入れたが、あまり浮かばないなあ(苦しすぎる)。お家の方と子どもたちがマイルドだったので、成り立った1年だった。感謝感謝である。

 

一年間ブレずに指導を通せる自分に気づくことはできた。どんな因果か最後まで走らせていただいて何かしらに感謝したい。

 

この日は、時間の配分も冷たく、3000円を越えるうなぎを10分で食べた日でもあった。