かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

179日目:勇気づけってなんだっけ?

177日目と178日目は、下書き中です。ハピペンです。あー、怒涛の土日が過ぎています。なんだかんだで「パセージ」にも行っています。ただ、やっぱり「パセージ」後は、頭の中に選択肢が増えていて、不適切な行動への指導にゆとりができる。「勇気づけ」が頭をよぎる。そして、アドラー心理学をかじるとやたらと出会う「勇気づけ」って何なのよって話なんだよね。その反対は「勇気くじき」と言うけれど、果たして一体これは何なのか。

 

「勇気づけ」とは?

まず大事なのは「言葉ではない」ということ。「勇気づけ」の参考にたとえば「お願いすること」などが挙げられていて、言い方のレパートリーもある。しかし、そういうことではない。私は指示のほとんどがお願いなのだけれど、そうしていれば勇気づけってわけではない。当然。

 

じゃあ、肝は何なのかと言えば一番は、「感情」である。「感情」がプラスの状態で声をかけていれば、ほぼ間違いなく勇気づけになる。

 

ふーん。って感じだろうけど、それじゃあ、「プラスの感情」ってなんなんよ?って話になるかと思う。

 

「プラスの感情」って?

「パセージ」のテキストには

喜びや親しさのようなプラスの感情

と書かれている。

そのため、「すごい!」や「えらい!」といった誉め言葉や行動を強化するような言葉より、勇気づけ界隈では、「ありがとう」や「嬉しい」という言葉が大切にされている。

 

しかし、やはり言葉ではない。そこに「プラスの感情」がのっている必要がある。言い換えると、相手のためを主とした感情ならヨシとも言えなくない。相手のためを思って言葉をかけるということだ。

 

そして、はたまた、「相手のため」って?って問いにぶつかる。その辺がはっきりと定義されているのが「パセージ」もとい「アドラーの子育て」つまり「勇気づけの子育て」の面白いところだ。

 

「相手のため」って?

アドラー心理学には「行動面の目標」と「心理面の目標が設定されている。

 

行動面の目標

  • 自立する
  • 社会と調和して暮らせる

心理面の目標

  • 私は能力がある
  • 人々は私の仲間だ

と感じられる

4文字、11文字、7文字、8文字しかない言葉たちだが、重い。

「パセージ」では、この4つに、いつも頭を悩まされることになる。しかし、それに悩まされている状態こそプラスの感情と言えなくもない。

 

つまり、相手が「私には能力がある」「人々は私の仲間だ」と思ってもらえるように言葉をかけられたときこそが「プラスの感情」ということだ。

 

そのための、コツのようなもの「パセージ」では散々学ぶ。どんなときなら子どもから協力を得られるか、大人の期待を子どもとの共同の課題にできるか、など。そして、そのどれも第一条件は「感情のコントロール」である。プラスの感情でなければ、すべてのこちら側の願いは通らない。

 

アドラー心理学は、対話の心理学だ!!

改めて、アドラー心理学ってなんなの?と考えると、アドラー心理学は対話の心理学だなあと思う。言葉によって(心理学ってそういうもんだけど)、相手に貢献することを考え働きかける。「私には能力がある」「人々は私の仲間だ」と思ってもらえるように。もし相手が本当にそう思えたなら「不適切な行動」は自然とたちまち消えるというわけ。つまりは、「自立する」し「社会と調和して暮らせる」というわけ。

 

子どもとの対話について抜群に網羅され分かりやすく書かれている本はこちら。

アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言

アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言

 

 

そして、アドラー心理学は、個人心理学とかなんとか言われるけれど、実に人間らしい心理学だなあと思う。

なぜなら、丁寧に関わりに時間を割くためである。本来人間は時間のかかる生き物なのだよ。それが、コミュニケーションにもインスタントでコンビニエンスなファストを求めてしまって結果このざまってわけ。

 

珍しく、今日は、まともなことを書いた。「パセージ」2回目だから、頭の中にこうした考えが入っているのだなあと思う。1回目より自分にとって身近に感じられるものになっていて嬉しいなあ。

 

今日もわりかし通常営業。子どもは私と休み時間遊べるかアポを取るようになった。静かをつくるのがうまくなった。プロジェクトを立ち上げるようになった。大会を開いて人を集めて休み時間遊ぶようになった。それぞれ、それぞれが教室を使いはじめているように感じる。嬉しいこと。

 

授業も付いてきてくれている。

あと少し、こちらが工夫をすればもっと楽しめるのだと思う。面目ない。がんばろう。