かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

215日目:45分への疑い

どう子どもたちを知って、どう合わせるか。

 

国語の最期の単元に、この学年での思い出を書くようなものがあるが、45分で切り刻むと、ちょうど火がついたときに時間切れーなんてことになる。「これを書こう!」とか「なんて表現しよう?」とかやる気になったり、考えていて楽しかったりする時に「ストーップ!!」ってなる。それはあんまりだと思った。今日はその様子に気がついて、臨機応変に時間割を変えた。ちょっとずるいかもしれないけれど。

 

45分に上手にパッケージングして、子どもたちのをその気にさせて、満足感を味わわせるってもうぜーんぜんできない。

 

しかし、一年間を振り返って何度も、子どもの姿を見逃す自分はどうしたらいいのか、どうすれば子どもをフォローし切れるかなんてことでのたうち回っていた。つい見落とす、放ってしまう、忘れる。これは、端的には「いつ褒めるか」というような命題とも思う。その答えの一つに朝の読書で出会った。

 

「褒める」行為が、対話への積極的姿勢を醸成していきます。

褒めるためにきわめて大切なのが、教師の「見取りと感受力」です。子どもたちのささやかな行為やつぶやきなどに表現れの萌芽を見いだし、発言への勇気を与え、また、表出された内容のよさを仲間の前で称えると、子どもは実にうれしそうな表情をします。この体験が次の表現への意欲を高めていきます。

『対話型授業の理論と実践』P10より

そして、その「感受性」を高めるには、五感を使って浸りきる体験が欠かせないという。当然「知ったつもり」「調べたつもり」の感受性では見れども見えずで、何も見取れやしないということなのだ。

 

「私は子どもを見てきたか」

そういうことを問いたくなる。