学校は楽しい!
大人って面白い!
そして、生きるって楽しい!
この辺は、ハピペンが結局のところよく思うことである。ハピペンは、学校は絶対に楽しい派である。あんな変なとこ学校意外にないわ。
この歳になって、とうもろこしの芯を食べることにチャレンジさせられたり、ハピペンに会ったら人生変わると12年前に出会った子どもに言われたり(もう12年子どもを見てんのか)。まあ、とにかく面白いよ生きるってことは。
そんなことを回想しながら、ふと「学校は楽しい」への違和感の正体が分かったかもしれないと思ってのブログ。
何も難しいことではない
なんてことはなく。「学校は楽しい」という言葉に違和感があるとしたら、それは、「学校は楽しい」に「学校はつまらない」が含まれているかどうかで変わってくる。
「学校は楽しい」と、そのまま字通りを前提に振りかざされると苦しい子が出る。ここに違和感があるのだ。つまり、「学校は楽しい」もののはず、にもかかわらず、「学校はつまらない」と思う人は、学校が向いていないのか。そういう子はいてはならないのか。という解釈ができなくないことへの違和感なのである。
だから、もし「学校は楽しい」という時に、「つまらない」という感情や経験もできるという意味で、たくさんの様々な、多様な、出会いや経験、体験、活動ができるという意味で「学校は楽しい」、「凝縮された喜怒哀楽のカオスであり、日替わり分替わりで魑魅魍魎に出くわす、これぞ人生の醍醐味」的な意味を含んだ「学校は楽しい」であれば、違和感は減る。
どいつもこいつも来ていいんだぜ。
どんな自分でいたっていいんだぜ。
それで、何が起こるか、何を学べるか、何を感じるか。
さあ、毎日楽しみに来てくれ!って感じだとハピペン的には違和感はない。
子どもたちは、日々、新たな人、新たな出来事、新たな自分に出会って変わっている。常に変わっている。だから、常によくなる可能性を秘めている。だから、来てほしい。楽しんでほしい。同じ日は二度とない。昨日うまくいかなかったことも、今日はうまくいく可能性がある。そういう物語を創っていけるし、創ろうとしている大人がいる。それが学校。あなたは必ず成長する。
自分が自分でよかった。
生まれてきてよかった。
呼吸して嬉しい。
明日もまた自分と過ごしていきたい。
自分に出会えてよかった。
それを感じられることが成長だ。
「あなたの無数にある生きる喜びに力の限り出会わせるのが学校」に違いない。
ちなみにこれは、「楽しいか」「楽しくないか」の論理階型から脱出したから考えられたこと。