かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

人生は続く

人生は続いている。イメージ的には陸続きだなあ。歩いても歩いても、振り返れば後ろには歩いてきた道があって、繋がっているからここに来られた。そういうイメージ。足跡。

 

兆し

というわけで、11週目の終わりの懸念は晴れる。「信じてもう少し見守ること」の成功。ただ、実際は、私がコミュニケーションしていることで、少なからず心を微細運動させられていて、「コト」を起こしてくれているのだと、完全な驕りなのだけれど、まあ少しくらい驕ったっていいかって感じで、勝ち誇っている月曜。

 

そして、お家の方は強しだ。少なくとも二つ、二つもコミュニケーションの転換を図ってくれている。そういう力が子の背中を押す。私は、お家の方にも、その子自身にも「本当はそういう力がありますよね!」と言祝ぐだけなのだった。今出せなかったとしても、もっているものを信じましょう。私は信じていますって方だ。そして、これからもよろしくお願いします。と言われる。任せろ!と思う。限りある無数の引き出しを開け倒して、なんとか自分の足りない脳から介入を呼び起こして、関わり続けようじゃないか!と、胸に強く刻む。

 

「学校は勉強以外にも学ぶことがあるところ」だと。そんなキーワードを聞く。私は、とても良いキーワードだと思う。そういう無数のいろいろを思い描いて、期待して、学校に来てくれたらいいじゃないか!と思う。