じゃあ、その8時間の中で何をしようかなあ。なんてことを考える。
残らないでみる。
何が起こるだろうか。
①いざという時に助けてもらえない?なぜなら、いつも早く帰るから。大変な目に合うんだったら毎日遅くまで準備しないと。それでもダメだったら、仕方ないから少しは助けてあげるわ。と。
②授業がままならない。子どもたちが「わーわー」さわぐ。落ち着かない。活動が思いつきになる。子どもも私も苦しむ。これは、回避しなければならないこと。だから、これが起こらないように、8時間の中でやりくりする必要はある。
③学年や学校でやることの滞り。これも良くない。100%なくさなければならないことである。ただ、それもやっぱり、滞らないように、8時間の中で、やりくりしたい。ここに割と外部や他学年との渉外が多くあり、時間を奪われる。
本当は、①は、ただの不安でしかない。
だから、②と③。これに時間を割けばいいだけである。
それ以外。学校は児童やお家の方の「心のケア」に時間を割く。「あの子の態度が最近気になる」的な。実際お休みしている的な。お家の方はこちらの考えを尊重してくれるか的な。
コミュニケーションが複雑化した時代の中で、多少のガス抜きであったり、調整、弁明などなどをしておかなきゃいけないわけだ。
そして、この余分な調整は、各々のお家や、カリキュラムなどの多忙からの疲労や、実際時間なくない?ってことから来ている。
それに、「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」と延命措置を施してもきつい。誰かが「ギブアップ!」と言ったり、「ギブアップ!」になった瞬間崩壊する。それは、誰かが誰かのせいにしはじめたらということだ。そういう圧力の中にいる。それがマズイ。それが常態なのがマズイ。自分や子どもの人生がうまくいっていない、と思った瞬間に、それは、爆発する。
「決まっていること」に、みんな追われて、頑張っている人から順に搾取されていき、最後には果てていってしまうのだった。カイジの世界みたいだわ。
だから、①のようなことで、保険のために残らず。自分をきちんと温存する目も持っていたいなあと思った。