かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

手に負えないことが起きたら

いやーややこしいなあ。

 

育てたいようにしか育てられないんだよなあ。

 

「ああさせる」

「こうさせる」が、うまくできていないかもしれない。

 

「そうしたくない子」を「そうさせたくすること」が、この仕事の担っていることだとして、ちっともできん。

 

それは「自分を変えようとするかどうか」の物語だ。

 

口うるさく言って、やらせて、誉めたとして。

そんなの犬みたいだって思う。

 

それなら、やることを提案して、やって、実際やってみてどう?と聞いて、自分なりに自分のやっていることの良さをつかんでもらいたい。

 

私の言うことなんか全然聞かなくていい。

だから、自分がいいと思う方を選んで行けよ!って思う。

 

そんな中、手に負えないことも起こる。

みんな忙しいのだ。

そして「まさか」。

全く、手に負えない。

 

そういうときは「できることをするしかない」わけだ。

 

その最善を尽くしてみた先に、出る答えがある。

 

動いた分だけ事態は動く。

それが、面白い。良い方へ?悪い方へ?

どっちでもいいんだ。

 

動かしたいだけ、動けばなんか変わるから。

 

いいね。生きてさえいれば、何かは変わる。

その中に、必ず兆しもある。未来への兆しも。

 

生きてさえいれば、あなたのすべては正しい。

 

そういう世界にいる。

 

だから、生きていることを祈る。

生きていることを喜ぶ。

 

その事態から、また明日が生まれることを楽しむ。

 

二度とない今日は、「有り難い」ってわけだ。