いやー言葉ってすごいなあ。
不快にも。癒しにもなる。
そして、それは、子どもが発しても刺さる。
やっぱり、自分の周りに自分を生かす言葉をちりばめておくことは、結果、自分が生きやすくなることにつながる。
元気がないのさ
朝から「今日は、元気がないんです」ってことを伝える。
多くの子がせっせとケアしてくれる。
なんでもいつもよりやってくれる。
改善をしようと動いてくれる。
チョークやら、セロテープやら、無くなったものを「取ってきましょーか?」と気にしてくれる。
嬉しい。優しい。
なんなのこの人たちって思う。
「いや、元気ないのよ」なんて言ったら。
「じゃあ、休み時間一緒にバスケしましょうよ!」なんて言われる。
「くそーっ」て思う。
イケメンすぎる。
生かされる。居て良さ。
また許可をもらったような気分。
救われる。
立てる!立てるよ!立つから!
そうそう。
まだ終わっちゃいねー。
負ける気がしねー。
立てるよ。立てるさ。
君たちがますます好きで仕方ないのだから。
ありがとう。良い景色を少しでも見せられるように。もう少し頑張りたい。頑張ろう。
もちろん、それは、一緒に創るものだとしてね。
そう。
いくらでも、君たちは君たちでよくなっていけるのだから。
保留の案件のほとんどは、良い兆しで、周りには驚かれる。何にもしていない。何にもしていないように何にもしているのかもしれないけれど。絶妙なダンスで、舞っている。
ああ、席替えか?
席替えを男女ごちゃまぜのクジにした。討論会の結果でもある。スローガンが印籠状態に機能していて、いろいろと乗り越えられるのだ。
それによって、面白いコミュニケーションが生まれている。たとえば、男子に囲まれている女の子の席がある。しかし、散々、前提として、誰とでも仲良くなれるから「くじ」という推しだったので、その契約によって、コミュニケーションが生まれる。そう見える。
そういう前提を作ったから、気兼ねなくかかわれるという免罪符ができた感じだ。
偶然、イスの高さを変えるタスクなんかがあって、やろうとするそぶりをすると、周りの男の子が来た。道具を渡して、放置である。助ける、助けられる&協働作業で、その子や誰かの中のその子が存在感が増す。すると、その子は、文字通り、そこに存在できる。
その辺りで、やはり挨拶は大事だみたいにもなりそうである。
滑落より跳ね返る
水・木の座礁というか、滑落というか。なかなかの深手と思ったのだけれど、その先にはジャンプ台というかバネがあって、ボヨヨーンと跳ね返って舞い戻ることができた。ように思う。
親友のおかげでもあるのだけれど、とにかく、良い人に会えば、見方も変わるし、氣も変わる。
そうそう。人々って、ギガの前に、そういうのを分け合って、シェアして、容量でなく、要領よく生きていたんじゃないだろうか。