疎外感を感じた結果、疎外感を感じさせることにもなってしまった。
助けてもらえなかった結果、助けることがしにくくなってしまった。
疎外感を感じたくなかったし、助けてもらいたかった。
その結果、疎外感を感じないところに行って、助けてくれる人のところに行って、なんとか、生き残る術を考えて、慌ただしくやっているのだ。
すべては、自分の力量のなさでもある。
余裕のなさが、誰かの余裕をなくし、その余裕のなさが、また、誰かの余裕のなさにつながる。
責任は、たらい回しされるのだった。
ならば、たらいをみんなで持つことにした方がいいなあ。
たぶん、そう決めるかどうかだけの話だ。