かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

なんでこんなに自分の意見を言うと罪悪感があるのか。それが問題だ。

自分の魂の癖なんていうと気持ち悪いだろうから、生育歴の癖。もしくは、DNAの癖。と言ったらいいだろうか。

 

そういうのがある。

一歩引いてしまう。

 

いつからだろうか。

 

自分は求められていない、という認識。

人徳がない。

 

少しずつ、永久不滅ポイントみたいな感じで溜まっていったものかな。3、4歳から。

 

16歳で一回、20歳前後で何度か。そういう嫌な衝撃にあった感覚がある。あーあ。

 

自分の意見を言うと、有り難がられないってことだ。その方が生存戦略として、得があったってことだ。なんだろうな、これは。

 

でも、抑えきれないものもあったり、どちらかというと言ったりしているのは、もう一つの性格のおかげなのだろうな。どんなに黙っていても許せない何かがある。怒りのようなもの。そこから始まったら何もうまくいかないだろうに。それが「言えなさ」からの傷つきなんだろうなと思うんだよね。

 

いつも「本当は」が眠っていて、それを助けてくれる人がいた。そういう人に依存していたのだろうなあ。しているのだろうなあ。

 

そして、ここから、ポジティビティが返ってくる。それでも、私は私で、それだけ、怒りが現れてしまうというのなら、それは、それだけ、自分なりに自分で頑張ったってことなんだろうね。そういう中でよくやっているよ、ってことは許してしまおう。

 

 

……。

 

という朝からの振り返り。右目が赤い日。

今日はとにかく寒い。今日は、授業という授業がなくて、もやもやーんという感じだ。が、彼らの意識の変化をまた少し感じる。

 

振り返ってみると

月:苦しい:3

火:メガどんより:1

水:まあ、いいか???:4

木:よい:5

数値化するとこんな感じ。3ぐらいが辛いのだなあ。ちなみにこれは、10段階評価です。

 

ただ、まあ、どれも、あれも、これも、よいかなあと思う。

 

月曜に起こったことも収束しているし、火曜に起こったことの傷も癒えていて、水曜に起こったことも収束している。

 

「今年得たものは?」といういい質問をもらった。失ったものばかりに目がいっているかもしれない。でも、得たものもあるはずだ。見つめてみよう。

 

電車に寒さを労われて、そんなことに癒されなければならない自分が嫌になるような今日だ。