かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「会」の設計

お祝いムードのハピペンです。いろいろな人がお祝いをしてくれます。今日もおごってもらいました。ありがとうございました。

 

「学びの共同体」の中で、グループの人数は4人が理想なんてのを見て、意識しているのだが、大人の会も5以上になると話の中身の当たり障りのない度が上がる。

 

4人までは、プライベートな悩み、自分の内面や過去や家族に関すること、大したアイデアでもない思いつきも話しやすい。

 

5人以上になると、ふわっとした内容になる。職場のこと、共通の知人のこと、思い出など、無批判的で、無成長的で、発見が少ない。

 

このおしゃべりと、私の思うおしゃべりは、何か違うと分かった。

 

そして、メンバーも話題を左右する。

新参か古参か。何度会っているか。

ゲストかレギュラーか。など。

 

そして、これは、「会の目的」を宣言できなかったから、各々が迷子になってしまったせいかもしれない。会うことが目的になってしまっていて、中身まで意識がいっていなかったのだ。「出会い」ってステージだったから、仕方ない部分もあるのかもしれない。

 

たとえば、6人というのが、意外と課題のある人数かもしれない。3人・3人に分かれるとよそよそしくなってしまうし、6人全体だと話題が行き届くには少し距離がある。8人だったら4人・4人でも違和感がない。

 

メインのメンバーがどこに座るかも重要になる。そっちに、エネルギーが向くからだ。

 

おそらく、これに場所も関連してくる。

そういう意味で勉強になった。夜。

 

「人数」と「メンバーの属性」と「目的」と「場所」。別にワークショップやろうって話じゃないし、どちらかとただの飲み会なのだけれど、でもただの飲み会というよりは、わざわざ予定を合わせて会うような久しぶりな会の中で、どうすることで、継続したいと思えるのか、実があるものになるのか、考えればよりよくなるのではないか、という示唆を得られた。

 

私が、健康診断だったために、ビール一杯でシラフだったからこんなことを思うのかもしれない。飲んでいたら単純に楽しかったで終わるかな。あと、集めたからこそ、やっぱり、参加者の満足度は気になるのだよね。そうそう、「居ること」ことに意味がある段階にいっていないから、「すること」に意識がいって、そこがモヤモヤしているんだな。

 

「アジール」の「アサイラム化」が起きていて、それをうまく乗りこなせなかったのだ。うーん。面目ない。

 

職場の方は、「あれから」二週間が経ち、経過観察というか、「アジール」的な時間を設けた。それが、好調なように思う。二週間ごとに入れたい。この二週間というほどよさも学ばせてもらったものだ。意識的にコミュニケーションを紡ぐのって、卑しい感じもするけれど、思った以上に効果がある。「あえて」って、人は言葉で動くから重要だ。