11年前の10月の雑記を見返していた。
「自分って何なのか」
自分がなんなのかって、嘘でもいいから決めておくのは大事だ。
最近なかなか良いアイデアがポンっと出てこなくて違和感があったけど、なんでかって言ったら。
自分をアーティストって思わなくなったからだ。
そんな気がする。
ギターはしばらく放っとこうって思ってて、あんま触ってなかったんだけどこのせいだ。
どうせ叶わないし、嘘だし、意味ないし、それでも自分が心地よい様に自分を描いていていいんだ。
誰のためでもなくて、自分がそうしたいから。
自分がアーティストをやめたのは、これじゃ周りはアーティストって思わないだろうって考えたから。
でも、自分はアーティストでいたいんだよね、表現者でいたい。
だったらいればいいんだ。
だから、ギターも触るようにすることにした。
今日はたくさんギターな日だった。
自分がいたい自分でいなければ、あっという間に自分は自分らしくなくなってしまう。
その心と体のズレが生きづらさ、つまらなさを生むんだろう。
モヤモヤとしていたころに考えたことっていうのは、身体に染みてしまっているのだなあなんてことを思う。
「嘘でもいいから決めておく」なんていうのは、この先の未来で『勉強の哲学』の中で出会って突き刺さった「仮固定」の話だ。
そして、「自分がいたい自分」でいること。そうしないと「心と体がズレる」ということ。それが、「生きづらさ」につながるという話。納得できる。
この頃はこうした自分の感覚を大切にして生きてもいたのだなあ。
そうして、翌年、通信制の大学に入学することになる。
このモヤモヤの反動から未来は生まれる。
「なぜ人はそうするのか?」
人が何かをする。
それにはたくさんたくさん理由がある。
理由がないことも多いけど。
人はなぜ謝るのか?
それは、悪いと思うからだ。
そうでなければ謝る必要はない。謝ったとしても謝ったことにはならない。
だからといって、悪いと思わなければ謝らなくて良いか?
そうではない。
相手に嫌な気持ちにさせてしまったのが事実なのだ。
悪いと感じなければそれは人として少し不完全だ。
そんなことを考える。
けど、人間はすべて
「そうすることがすばらしいと理解していてこうして存在しているだけ」
なのではないかと思った。
笑ったり、泣いたり、全部ひっくるめてそういう普通のことがすばらしいのだ。
ようするに生きているってことが。
だから、私たちも今もこれからもこうして在り続けるのだ。
「そうすることがすばらしいと理解していてこうして存在しているだけ」
全肯定系の感覚の話。
無意識レベルとか、自分たちでは分からないシステムのレベルで、「すばらしいと理解して」それを起こしているのではないかと思った。
何もしないということも含めて、「何もしない人はいない」、人は何かしらに向かって動き出すという信念がハピペンにはある。
「循環からの脱出」
たくさん今まで寝てたせいか、今日は早く目が覚めて二度寝も出来なかった。
何度か夢で一瞬一瞬は起きてたけど。
そのうちの今日一番はじめに見た夢は痛かった。
いじめ、もしくはいじわるをされる夢?
賞金が出るゲームを何十人かでするんだけど、
ルールはいらない人をチームからはずすってだけ。
そして制限時間が過ぎて残った人が賞金をもらえるのだ。
男は三人しかいなかった。
そのゲームに入るまでは自分は仲良くしていたつもりが、ゲームがはじまった瞬間全員にいらないという態度をとられる。
私はゲームから排除された。
そのゲームをしている会場はすごく大きなお風呂か水がテーマの施設で、前に夢の中で何度か来たことがあるところかもしれない。
いろいろなフロアに別れていて、ゲームをしていた会場から外に出たんだけど、そこは雨か水しぶきがたっていた。
そしてものすごく大きな電光掲示板かモニタみたいなところに自分がさっき参加していたゲームの結果が発表された。
結果は自分以外の全員が残って賞金を獲得、自分だけが追い出されたのだ。
しかも、自分はその瞬間知ったのだが、賞金はその追い出された人たちで払うルールだそうだ。
このゲームでは自分だけなので全額自分だけが払うことになる。
金額は10万だった。
さほど大きい金額ではない。はっきり言って金額のダメージなんかまったく感じていなかった。
それよりも、自分だけがその敗者が賞金を払うルールを知らされていなくて、友達だと思っていた人たちに完全にハメられたショックが大きかった。
自分の居場所がなくなっているのがわかった。
今日は、特別なお祭りか何かなのか、その施設のほとんどをうちの学校か何かが貸し切っているようでどこに行っても自分と何か関係のある人がいて逃げても逃げてもどこに行っても、
「あ、アイツだ賞金早く払えよ~バーカ」という言葉とともに蹴られたりする仕打ちをくらう。
そこでは武力も圧倒的に弱い。
私は股間を蹴られて玉が一つ潰れてたくさんの人に笑われるところで目が覚めた。
うつ伏せで布団の上にいる。
くそっ、夢ならもっと抵抗すれば良かったって心の底から思う。
どこに行っても笑い者にされてバカにされて。自分の存在を否定されることがこんなにダメージを受けるのかと思った。
抵抗すること事態は難しいことじゃないと思うんだけど。
抵抗する前にどうせかなわないってことは分かるんだよねいじめられてる側は。
それなのに抵抗してどうせ無駄なのにってさらに周りからバカにされるのが嫌で結局何もできくなるんだ。
その何をしてもバカにされるっていうのが行動を何もかも妨げる。
そういう場では息をしてもバカにされるし、心臓を動かすことすらバカにされる感じだ。
耐え難い。いったいどうすればいいのだろうか?
こんなの立ち向かって得るものは何もない。
たぶん、そこから遠ざかった方がいいよというメッセージでしかないと思う。
度を超えた嫌悪感はそこから立ち去った方が良いというメッセージ。
とにかくそこから逃げきるしかないと思う。
そこは地球であって地球でないところなのだ。
この夢で起きたらこの先人生どうかしてしまいそうだったので、もう一度寝て次の夢で忘れるというジンクスをかけてもう一度目を閉じた。
次の夢はおもしろかったような気がする。
ハリー・ポッターか指輪物語的な夢だった。
自然の中に家があって何かを倒すストーリー?
変な竜に乗って空も飛んだ気がする。
補足だが、玉が一つなくなるシチュエーションは完全に先日バキを見たせいにほかならないと思う。
でもね、今日は良い日。
循環からの脱出。遅起きとか。
部屋を掃除したら止まらなくって玄関まで掃除してしまった。
やればできるじゃんオレ。みたいな。
小さな成功体験が脳にとって重要って昨日テレビで言ってたし。
うん、ウキウキできるぞオレ。みたいな。
仕事に行って。また循環からの脱出。
いつもいつも駅に着く時刻が同じだった。
ホームに降りて時計を見上げる。
変わらない日々が続いく違和感。
もう何回ここなんだろうって。
何かやり残しているから何度も何度も同じ時間にくるのかなって。
今日は人の流れの偶然で電車の一番後ろの車両に乗った。
電車はいつもと少しだけ違う感覚だった。
駅に着いてホームに降りて、階段までの距離が結構あった。
けど、そこで気がついた。
階段付近まで行って時計を見上げると、
おっ?!
いつもと一分違う!!
ものすごいバカだけど、本当に衝撃的だった。
そっか、オレだ。オレ次第なんだ。
変えようと思えばこんな風に簡単に些細に変えることができるんだ。
空気が変わった。自分が次のステップに開けたというメッセージを直感できた。心が沸いた。
今日という日が、ここからの日々が、ここまでの日々が自分を肯定してくれてる気がした。
たくさんの日々は、決して自分の敵になったりしない。
ちゃんと味方で、見守ってくれているんだ。
行けそうだ!!
このころから「ブリーフセラピー」的なその気はあったのかなと思った。
「同じ」が繰り返されている。それが起こっていることに気がついたとき、はじめて、それを変えようという一手を人は打てるわけだ。気がつかなければ、循環は続く。
「解決が問題」として継続する。
ただし、気がつけば、脱出可能である。
それは、上に書いたちょっとした変えられそうなことを変えるだけで、日常は変わり得る。電車の車両を変える程度のことのような、変えられるものを変えることでいいのだ。そして、人の流れによってなど、外側の理由でも絶えずその変化のチャンスは訪れている。
前は、本当にもっと好き勝手にその日に心に残っていることを、一つ取り上げて書いていたのだなあ。そういう感覚も忘れないで、もうちょっとやっていこーっと。