かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

作用

「人生とは作用である」なんてことを思う。

 

そして、善い作用と悪い作用と。

なんであれ、その作用が自分なのではないか、と思った。

 

ただ、ここが面白いところで、作用がどういう結末を辿るかを見届けることはできない。

だから、自分っていうのは、果てしないのだろうなと思う。管理不能な存在である。

 

今日は、4時起きして、やりたくないことをやったせいで、気分が重かった。本当は前日にやらなきゃいけないのに先延ばしにして。アホである(委員会の劇の台本づくりです。我ながら好きな感じにはなったけども)。

 

一つ思ったのは、負担感のあることを持ち越さない方が健康に寝られるのではないか、ということだ。

 

あとは、やっぱりやったことのないことは、どれくらい時間がかかるか想像できないため、取り掛かるまでの抵抗が大きい。

 

『やる気クエスト』を見て、もう一度「0→1」に動き出すコツをハックしたい。

 

あと、『デカルトからベイトソンへ』をとりあえず読み終えた。

 

読み終えたら世界は一変してしまうのではないかと思ったけれど、そんなことはなかった。むしろ、よりただ単に現実を突きつけられたような気もした。その結論が「作用」である。

 

自分がこの世界にいて、個人かつ人類として、どう「作用」するのか。数値や能力や機能でなく目の前と関わること。「"それ"が"それ"としてあること」と、もう少し向き合ってみたいなと思った。

 

目の前に広がる光景は、どれも奇跡だと捉えて、彼らを見つめてみたい。