関係のための関係は嫌なのだけど……時代はそうなってくるのかな。みんな反応のために反応することになっていくのか?「ハピペン」です。
コミュ力大事だとして、でも、それは相互的なものだよね。私は、コミュニケーションについての基準を上げないように気を付けよう。この人は自分にとって心地よいコミュニケーションじゃないから、よくないとかってないんだよね。自分次第。1回言って反応がなければ2回言う。その人諦めない。関係はコミュニケーションの心地よさで作られるのではなくて、その人が好きだからあるだけ。
自分は嫌われてしまわないかなって思ってコミュニケーションをしているときが異様になってしまう。
つべこべ言わずにコミュニケーションしろってのもあるのかなあ。ああコミュニケーション格差に飲み込まれそうだ。
オンラインサロンってお金を通じた集まりも有用そうなのだけれど、なんか違和感がある。私の中にある古い感覚なのだろうけど。それはそれ、あれはあれっていう割り切りかな。ビジネスライクな人間関係と、自分の求める人間関係と別だものね。
ところで、今日は、昨日知った「ジェンダーについての認識」や「地球温暖化について」考えさせられた動画をいくつか貼っておく。(一日、学びというか、課題意識から何かするってことはなかった。3.11なのだけどね。日常生活のすべきことをした。)
感動する。と思う。
ただ、実際は感動で終わっていいのか謎。
大きな問題をはらんでいる。不当な感じがする。違和感。
ここにジェンダー認識の見落としている何かがありそう。
生まれもって作られてしまっている何か。
気を付けないと、当たり前ってことで誰かを苦しめているかもしれない。
ノーコメントで。感じることを誰かとシェアしてほしい。
先進国で起こったことのせいで苦しんでいる人たちがいる。
自分が何もしていないこと、できないと思っていることへの違和感。
直接的な支援と間接的な支援。
継続して考える。