今若干、蚊帳の外にいる感がある。
世の中(極々狭い私の知る範囲)の流れたい方向と、自分の在りたい方向が合っているんだか、合っていないんだか、よく分からない。
特に「変容を見取る」なんて言葉に複雑な気持ちになる。
その変容を外側は、期待していいのか。
その変容の見取りの不確かさを前提に、この先言葉たちは受け取られるのかが気になる。
「その変容は不安定である」という前提がほしい。
この先「変えたがり」たちが増えて、息苦しくならないかって、嫌な気持ちなんだな。
「変わってもいいし、変わらなくてもいいし」という立場でいたい。
「変えること」を目指すのはいいとして、仕事として上から降ってくると、その外側にある技法や仕組みは、変えるための一番大事な要素を帯びていないのではないか、ということも気になる。
学習指導要領超信じています。このカリキュラムを信仰していて、子どもたちは、絶対的に学習指導要領の示す方向へ変容すべきなのです、って魂がこもっていれば変われるかもしれない。
それこそ、教師はそうなる「変容」を迫られているってことでもあるか。
私は、未来の子どもたちへの願いや幸せを思う作用から変容が起こるように思う。
技法やシステムが多少適したものでなくても、そう願う魂が先行して、変容を生むように思う。
そうなると、授業改善は「授業に好意的に臨もう」という感じに、健康に授業準備ができて、仕事における様々なコストを授業に向ける。感心の矛先を授業に向けるってことで、達成されるのではないか。
「授業をこうやって変える」ということが、「子どもの姿の変容」につながるのではなくて、「授業への思いの矛先を苦痛のないものなら変える」ということが「子どもの変容」につながるのではないか。
結局、「こう授業改善すべき」というのを受け容れて実践するのではなく、「やらされ」として入ってきた時、子どもは変容しないし、「変容は見取れない」ということが起こると思う。
その矛盾のはらんだものが、上から降りてくるので、仕事が辛くなる先生が増えると思う。
私もその一人な気がする。
見取るって何か、もう一回言葉化されたものを見た方がいいかな。
西川先生の本があったような。私の思っていることに適当なことが書かれているか分からないが。
子どもたちのことが奥の奥までわかる見取り入門<会話形式でわかる『学び合い』テクニック> (THE教師力ハンドブック)
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『学び合い』での見取りが、私の指す考えを支えてくれるだろうか……。
今日は、休日出勤。でも、肩の荷が降りて、明日はゆっくり休めるわけよ。
いろいろなタイミングとみなさん。
ありがとうございます。
漂っていても回る世界に乾杯。