かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

初めて仙台に行ったわ

雪崩れ込んだ結果である。

 

疲れた。

疲れ切った。

なんか泣きそうなくらい疲れた。

 

17時を過ぎて、熱っぽいかなと焦った。

喫茶店で15分目を閉じたら、大丈夫そうだった。

寒いし、寝不足だろうし、ろくに食べなかったし、不健康なのだ。

 

どうしても気になって、ブリーフセラピーの学術会議に足を運んだ。

数秘術で、今月の旅行が吉となっていたこともあって。

影響受けすぎである。

でも、それで勢いづいて、得られなかったものを得られるのはありかもしれない(もちろん、失うべきでないものを失っている可能性もある)。

新幹線の中で、所見を少しでもやろうと思って、結果バックが大きいのではないかと考えたのもあった。

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やっぱり、ブリーフの学びは楽しくて、その言語で平気で会話をしている人たちは、自分の周りにはいないから、心地がよい。そして、ブリーフは、優しいし、プロでもつまずくことがあるし、それでも、個人ではなく十分に社会に実装し得るのだろうと学んだ。もっとブリーフを好きになれた。

 

今回の学術会議のテーマは「心配ない、なんとかなる!」で、今の自分に必要な言葉だと思った。子どもたちにも必要だろう。というか、今の時代にいる。背中にその言葉が書かれたTシャツが売っていたので買った。背負って3月まで頑張ろう。

 

この言葉は、変えようとするのではなく、それでもやっていくという解決について考えていくというブリーフのスタンスを現している。いじめがある。でも、なんとかやっていくにはどうするかという視点である。そこに、解決のTipsがある。この感覚は大草先生のHowにも似ている。やっぱり、自分の人生は、自分でやっていくしかないのだ。解決は、その人の解決でなくてはならない。「誰が何を問題と思っていて、何が変われば解決したと感じるのか」それを探っていくと解決が見えて来る。フライングで、勝手に相応しいと思う方へ当てはめようとしてはならない。この辺はアドラーで言うと、課題の分離にも通ずる。

 

ブリーフでは、クライアントに観察課題を出すことがある。初めの方で行うことが多く、初めに観察があるというところが、U理論に通ずる。ブリーフの面接中に起こっていることは、U理論なのかもしれない(ちなみに合氣道でも、「観る」ということを何度も指導される)。誰にも分からない解決について、その場で既知を手放し、今必要なことを見つめ直し、現実的なレベルでできることを探す。ここに相手に氣を向け、氣を通わせていく辺りは、合気道にも通ずる。共感とか、ペーシング、ジョイニングといわれるプロセスでもある。それらの身体知が少しずつ分かってきて、私は、人を自分が関わりたかった関わり方で、見たかった見方で、携わりたかった携わり方で、接したかった接し方で、時間を共有できるようになるかもしれない。ただそこに「在るよさ、ただそこに「居る」よさを感じて、自分の未来に希望をもってもらえるような、受け応えのできる、少しはマシな人間になっていきたい。

 

そして、ろくに観光はなく、牛タンを食べて、お土産を買って、帰る。

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それにしても、本業の一部にここまでのコストを常にかけることは難しいなあ。

周りは、教諭でない専門家だらけなわけで、これが本業の人が集まってんだから。

 

好きなことでもこんなに疲れるのに、やりたくないことで12時間以上拘束されている人は、本当に辛いだろう。

先生のためのやさしいブリーフセラピー: 読めば面接が楽しくなる

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