「理由のない登校しぶり」は、一体どう解決されているのだろうか。
いろいろなことを想像してみる。
たとえば
原因がある
その不安を解決しましょう。
困らせるという目的
「学校に行きたくない」ということで、学校に行かないことを発動できる。すると、何が起こるか。学校を休むということが起こる。そうすると何が得られるのか。その利得を想像してみる。
そうすると、親も会社を休むということが起こる。
休んでゲームをやるということが起こる。
困らせることができる。
反抗期。それが目的だったりして。
反抗することが目的。
体調
個人的には、理由の分からない登校しぶりのうち、これに含まれるものがあるのではないか、と思う。
体調面での、何か困り感があるということだ。
眠れない。など。
この複合的な問題に見立てを考えて、解決を考える。経験と勘と予測。
学校に来させるというゴールだろうか。
学校もシステムの一部だとして、何ができるか。
その子に成長があって、未来に希望があることが望ましい。
カードをつくって、ダイヤモンドピラミッドでもやるかな。
それに、たとえば、親が喜びそうなピラミッドと、自分の気持ちと分けてやってみるとか。
それと、家族の発達段階見たいなと見合わせて、何か助言ができるか考えてみよう。
もし、目的論だとしたら、その目的がわからない。さっぱりだ。
もしくは、目的などではなくて、起き上がらないことの背景が分からない。
そもそもの問題は、親の精神力や体力が、未来の不安という重い負荷に耐えうるのか。その一択なのかもしれない。
子をどう支えることが望ましいのか。親が支えられたようにしか、親は子を支えられないというのもあるかもしれない。その「個」と生きていくことをどのようにして選べるのだろうか。具体的な身体症状が出るでもなく、どう乗り越えていけるのだろうか。それに想いを巡らしていく。