かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

潮目はある

忙しい。

と、自分のことなんか考えられない。

し、この先の見通しなんかもない。

 

起きて、こなして、食べて、寝て。

終わる。

 

本を読むとか、誰かと話すとかもない。

そこから、何が生まれるのか。

は、知らない。

不満しか生まれない気がする。

 

それでも、くだらない試みや思いつきはなんとなくしている自分に気がついて笑える。

 

先週と今週で、教室にタブレットを持ち込んで調べ物をすることを試みている。コラボノートというソフトを使ってみることも試みる。

こんなに忙しいのに、やたらなことを打ち込んでいる自分を褒めたい。

 

プロッキー60本買った。

これで「まとめる」が活性する。

とりあえず、数をこなしたい。

「まとめる」を楽しめるようになったら嬉しいなあって。

 

あと、脳が疲れていると、「いいな」って思うかをいちいち言祝ぐ力が落ちる。いるだけみたいな。

 

なんだろうなあ。

今日は陽の日だった。

昨日の帰りは、とてつもなくどんよりしていたのにもかかわらず。

 

 

御膳立てがいるということ。自分からは動けない。

 

ストレス耐性が低い。いろいろなことがあって、瞬間的に嫌悪感を表出しなくても、素晴らしい明日は来ると知ること。自分の胆力を認知させること。

 

エビデンスベース。こういう事実があったから、その事実に対応し得るコトガラを用意する。エビデンスに責任を転嫁するってことだ。

 

「じゃあ、てめーやってみろよ」ってことばっかりがループしている。それは、こなさせられてばっかりだから、生まれている思考。

 

生産性のないガチの方の「批判思考」ばかりだ。これとの決別だなあ。子どもがシフトしていけるといい。それで生み出されるものは、何もないということ。だからこそ、今越えようとする方が重要。

 

君らはこの集団に自信がなさすぎるよ、と。

 

それにしても、要望に応えるというコストの大変さ。それと、失敗体験がループしていてやる気を削いでいる。

 

「ならば!やらない方がマシ!」という虚しみとの戦い。(「虚しみ」って語は存在するんだろうか)

 

ただ、策はあるような気がする。今そう思えてきた。