SNSの意味は移り変わっていて、2010年代前半とは使い方も異なっているようだ。今更だけれども。
「インフルエンサー」という曲が出たころ(2017)に「インフルエンサー」というのは市場で当たり前に使われるような言葉だったのだろうな。
SNSは、インフルエンスするために使うのが自然になっているのだろうなあ。
twitterの呟きには、「価値のあること」が求められる。それでも、自分の「つぶやき」として使い続けるのは愚かなんだろうか。そのために始めたのに。だったら、鍵垢にしとけよとかそういうことなんだろうなあ。
「インフルエンサーマーケティング」という言葉で商売をしている人もいる。「ステマ」との違いは「PR」ときちんと表明しているかだそうだ。
それくらい、意味に縛られている。動作としては同じでも、意味が違ってくる。
それだけ、自分の目で価値を判断していないということでもある。選択疲れもある。その辺りはこの本にも書かれていた。
教員の世界でも、「意味」を生み出せない人は、廃れていく。
それは、一つの不安だろうな。ストーリーがない人はいないにも関わらず、ストーリーが語れない人は生きられないという苦しい状況がやってくる。
私も常々能力を高めたいと思う。
しかし、それは何のためにだろうか。
承認のためだろうか。当然それもあるだろう。
けれど、経済のためだったとしたら。
なんか、それは、面白くないなあと思う。
自分の能力というよりは、人生を売っているみたいだ。
不思議な感じがする。
これからは、人生をマネタイズする時代になっていく。
頑張って、発信すること。
良いことを発信していれば、インフルエンサーになれる。
もっと簡単な話で、情報と日記と分けることなのかもなあ。
google scholarで、承認欲求を調べ始めもした。
経済の前に承認なのかもしれない。その辺りがイコールになっているのかな。
またまとめたい。