かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

ステートメントづくりをしようとしたけれど頓挫

ステートメントというのは、人生の目的、モットー、構造図を指す。ステートメントづくりについては、7つの習慣に書かれているものだ。

インフルエンサーの人生の目的のなさに辟易する. / #日々短文雑記|落合陽一|note

第二の習慣:目的を持って始める【ミッション・ステートメントを作成する】|7つの習慣 セルフ・スタディ|フランクリン・プランナー・ジャパン株式会社

 

人生のステージ(結婚、子どもが生まれる、転職、親の死など)によって、一日の流れや、貫けない信念が出てくるなあと思う。自分の置かれている状況の変化で見直し書き換え、これまで以上に優先順位を絞るなど、入った分だけ出すというか、当たり前のことなのだけれど、同じ感覚で生きているせいで辛くなる部分もなくはないだろうと、見直したいと思った。

 

かと言って、これまでのステートメント的なものがどこにあるのかも分からない……。

前に考えたことがあったような気がするのだけれど、思い当たる資料が見つからず。

 

まあ、似たようなものが、出ては来るのだろうから、今を見つめてメモっておこう。

 

さて。教員失格にならないようにと思うのだけれど、ステートメントを改めて言語化してみよう。

 

繰り返しになるけれど、現状が変われば、ステートメントも変えないとズレが出るよなあ。なんというか、出来ないこと、現実的でないことをずっと追っているというか。

 

気をつけないと、それが負担でストレスになるし、自分を責める要因にもなってしまい、日々が辛い。

 

ここで、保留になり、午後へ。

 

 

gaccoを少し見た。何度も聴いたような文脈に奮起される。やっぱり、鍛えたいことをちゃんと胸に留めて、子どもを見たいな。そんなに難しいことではなくて、「習得、活用、探求」できる自分を大切にできるような。そういう愛をもってやりたい。「教える、使わせる、使いたくなったことに使う」という、たぶんそれだけのことだと思うんだよね。

 

朝スッキリに、10歳のチェリストの子が出ていて、学校の外に学びや人生はある。その子から滲む「したさ」がその子である。学校の外にいくらでも学びがあるということ。それよりも、学校のことができていればいい時代は、終わっているかもしれない。その子の人生にとって学校でやることの優先順位の位置付けを気をつけて定めてあげる必要がある。「それより、宿題やりなさい!」では、宿題こそ人生になる。それは、大変むなしく。アイデンティティの抹殺でもある。せいぜい後ろ指をさされず、したいことを気持ちよくするために、程度に学校があってもいい。同調圧力に付き合うということだ。そこに動機を生み出すことが困難である。それは、何も保証しないからである。

 

同調圧力も薄れてしまった時代なんだよ、ということ。

 

学校は不幸にはしないけれど、幸せにはしてくれない。どちらかというと、不幸にはさせうる。

 

課題の出し方から、必ずしも育ち(機能としての機会すら)を保障しない。必ずしもその子に必要な学び(コンテンツ)を与えられない。

 

それが、職員室での評価を気にかけるための仕事になってしまったらアホみたいだ。そうでなくて、お家の方の声も聞きながら、子どもを見ていきたい。

 

モヤモヤとここまで。