言い換えると「目的の達成を妨げない」ってこと。実際、行動はコントロールしまくりである。
ただ、これは「応用行動分析」にすぎない。
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【「誤学習」と「強化」について】その都度抜け目なく注意するのは、誤学習とは違って事前にさせないのが「エラーレスラーニング」だよね。 - かならず幸せになれるいきもの
これと、ブリーフセラピーの考え方の相性が良い。
不足・未・誤学習に対して、回避・適切な行動・代替行動を教える辺りが。
起こっていることに対して、違う「仕組み」を取り入れるだけ。
その提案(介入)によって、体験の成功が起こると、信頼関係が強まる。
たとえば、子どもが台に乗って物を取ろうとしているとする。
よく見るとブロックの箱の入れ物を裏返して台にして乗っていた。
あぶない!と注意したくなる。
それに、割れたらどうすんだ!とも注意したくなる。
やめなさい!と注意したくなる。
本当に?それだけ理由?なぜやめさせたいの?その台の上にある物(ボンゴ)を取らせたくないだけじゃない?
この背景に、なんとなく、うるさいのが嫌だ、うるさいとほかの大人に文句を言われたら嫌だ、取るときにケガしたら面倒くさい、物が壊れたら面倒くさいという自分が浮かんでいた。
その子を妨げようとする理由の全部が自分だと思った。それに理屈をつけてやめさせることは簡単。学校様の登場。
ただ、ここで一番優先になるのは、やっぱり「安全」だと思いたい。
注意を自分のためでなく、わすかでもその子のために。
そうして、「それは台じゃないから転ぶかもよ、イスを使いなさい」と言ってみた。
子どもは、すみやかにイスに換えた。
「この人は、安全に自分のやりたいことをさせてくれる」と納得したのだと思う。
子どもの行動をコントロールする。
子どもの気持ちはコントロールしない。
振り返ると分かるけど、そこで、本当にその安全を育てるつもりなら、取れたときに「イスを使って安全に取れたね」の言葉かけがいるなあ(その辺り実に偽物っぽい私……)。
もし「不安定な台で高いところにある物を取ること」が目的だったら、台の交換は抵抗されただろうと思う。
目的(よくニーズって言われるやつ)を読み取って、共有して、サポートできたら、共存しやすい。
子どもの行動にはすべて理由がある。
実は「目的意識」が強力なほど、こちらの意図すること入れやすかったりもする。
「子どもがしたいこと」は、教育活動をする上でめちゃ使える使いやすい要素。
「お願い、説得、交渉、相談、提案」で。