かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

030|仕事に行きたくないし、ボーッとする

今日のジャンプで、鬼滅の刃が最終回とのこと。鬼滅の刃について、考えていたことがあったから、どこかで書けたらいいなあ。

 

朝、今年度一学校に行きたくなかった。なんだろうなあ。無意識に嫌なことがあんだろうなあ。意識で嫌だと思わないまでも。意識は大抵後付けで外れなんじゃないかと思う。

 

不安やストレスは、不安やストレスを与える態度や発言を生む。その悪循環をどう断つか。別の潤滑油がいる。ただし、嫌悪する人が、もう少し細かく言えば、心根が嫌悪な状態の人が何を言っても、しても、面白くは受け取れないものだ。いいかげんその真実のような事実を受け入れた方がいいかな。感じのいい人が有利なわけだろうね、きっとね。

 

相手に変化を望むとき、それは、「自分にとって」の良い変化にすぎないのだよね。普遍的な良い変化なんてのはなくて。あの日の助言は、あの人が生きやすくなるようにと願ったようで、もし自分があなたと深く付き合うようになった時には、こういう人になっていてほしいという願いだったのかもしれない。

 

感情のコントロールが必須な現代。殺された感情たちはきちんと成仏するんだろうか。それは、負債として蓄積しないだろうか、と気に病む。感情労働として対価をもらっていると思えば、仕方なしと思えるだろうか。誰かの心を軽くする務めを果たしたいが。自分がこれでは果たせるか分からない。そして、ストレスは、また意識によって、悪い効果にしないことも可能だから苦しい。トレーニングがいる。落ち着く脳づくり、リラックスする時間づくり、癒されるアイテム収集。これまた、多様化も手伝って、不安が強いからこその、落ち着きが必要になってくるわけで、難しい時に難しいことができた人が、素晴らしい人、おめでとうという人になるわけで、難儀である。

 

「全ての悩みは人間関係である」というくらいだから、伝え方、コミュニケーションも関連してくるだろうね。よいコミュニケーションができていれば、ストレスは減るのかもしれない。そのジャッジが、型通りであるとか、型通りでないとか、そういうくだらないものだったら、ひどく虚しいけれど。コミュニケーションは、50:50にもかかわらず、推し量った気でいて浅はかで痛い。

 

人気を気にするのの裏返しが、ミスをひどく恐れるってことでもあるように思う。自分もそういうところがないか、気にしたい。ただ、自分を鍛錬できたらいいなあ。

 

明日へ向かおう。