かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

076|子ども心と夏の空

河合隼雄の本に、180度の変化というのは、それはそれで移ろいやすく、すぐに反転することもよくあるとあった。

 

この話が、私のぬか喜びを食い止める。称賛を素直に受け止められない要因である。好きならちょっと好きくらいが、長く続くための秘訣ということだ。

 

子どもたちにとって何がヒットして、「学校を好き」になるかは、分からない。

 

もちろん、一番は学ぶこと、自分が成長すること。もっと言えば周りと成長していくこと(そんなやつそうそういないな)。

 

ならば、友達がいるから。それでもいいや。それで、学校が好きなら、学校という制度も報われる。

 

他に先生が好きってのもある。悪手である。療育の先生に、サービスを提供するには来たくて来させなければならないけれど、どう来させる動機を持続させるのか、と聞いたことがある。結局、一番の強化子は、人だと言う。その担当に会いたいから来るというのが一番あるとのことだった。エンターテイナーでいること。私のできないこと。そして、集団には向かない選択肢だと2年目で身をもって知ったように思う。

 

そうなると、一つでも何でもいいから、学校という生活動線があるから、生きるってことが潤うような何かがあって、学校っていうものが少しでもマシであるといいなあ。給食があるとか、休み時間があるとか、体育があるとか、図工があるとか。基本的に子どもは知ってて、できれば好きなんだろうな。深くっていうのは、たくさん繰り返し行うってだけのことかもしれない。

 

そうして、縦横無尽な、十人十色な理由で、子どもたちは学校に来ていて、運が良ければ学校が好きということになる。この先ずっと私がいいとか言われもする。しかし、それは、いつか、思いっきり反転することでもあるのだろうなあと思う。それなら、給食が好きで学校に来てもらっている方が気楽だ。

 

今日もいい日だった。クラスのスローガンが決まりもした。

17:30ごろには退勤できた。おかげさまでよい。実によいと思う。

こころの処方箋(新潮文庫)

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